さいたま市の川合運輸株式会社です

川合運輸社長Category Archives

野球選手2

巨人V8の頃といえば、長島選手も全盛期を過ぎていました。私の数少ない後楽園球場での観戦でも、王選手の鮮やかなホームランは見たものの、長島選手のホームランは観られませんでした。何かの機会に貰った指定席が3塁側で、逆にサードゴロをファンブルして内野安打にしてしまった時の強烈な野次をよく覚えています。

そうであっても、少年向けの野球読本には必ず王、長島が出てきて対談しながら基礎を教えていました。

そのような中、当時は天性の長島、努力の王というのが一般的な捉え方。本の中でも、グローブひとつにしても、長島はいつも新しいのに次々と変えていくのに対し、王は自分で繕いながら長く使うと紹介されていました。

ただ、そのような数十年の認識を一変させるドキュメントが、数年前にNHKで放映されました。

ドキュメントと言っても、実際には作り手の味付けが多分に入りますから、ある程度は差し引くことが必要なかなとも思いますが、王さんが自ら証言している事からも、実は天性の王に努力の長島のほうが正解に近いようですね。

それを長島選手は、当時はできるだけ見せないようにしていたと。

そして今は逆に、同じようなリハビリの環境下にある人に勇気をあたえるために、あえて今の自分を見て貰いたいとも語っていました。

思えば、少年時代の思いをそのまま壊されずに来た、私たちの世代はつくづく幸せな世代だと思うのです。

川合運輸株式会社HP

野球選手

「西鉄」ライオンズファンの私も、少年時代は、あの環境下、東京巨人軍が勝つものだと思っていました。

あの環境下とは、親がそう。学校の周囲の友人も当然そう。親戚のおじさんは巨人が負けると不機嫌になる・・。ラジオもテレビも当然のごとく巨人戦中継・・・。そもそも毎日見ていた新聞も・・・・。

その頃、たしか9連覇の前年、V8の時に地元のデパートでサイン会が開かれ、日替わりで選手のサイン会が。

他の選手が、ほぼ無言で黙々とサインし続けていたのに対し、長島選手だけは終始笑顔で、何かしら周囲の人たちに声をかけていました。中学か高校生位の女の子のグループが、声をあげればすかさず反応するというふうに。

会場は超満員で、サインを貰える人も当然たちまち締め切り、ロープで仕切られました。そのような中、突然幼児が飛び出してきて、既製の色紙をもって「サイン頂戴」と言ったのです。おそらくはその母親の確信的な誘導だと思いますが。

ここで、少々誤解を恐れずに言えば、当時は今よりも偽善的雰囲気は少なく、結構子供へもきびしい様相があったように思われます。

当然、その場はかなり険悪な様子になり、係員が飛び出してきて「困ります、困ります!」と、その幼児をとめにかかりました。

そこへ長島選手がすかさず、「ああ、ああ、してやる、してやる!」と言って、係員を制止し、すると後ろからその幼児の母親が出てきて、幼児を抱き上げ、サインと握手をしてもらったのです。

私も含め、見ているだけの子供たちの嫉妬の目はたくさんあったでしょうが、その時の長島選手の笑顔と、その場がぱっと明るい雰囲気になった事が、強烈な記憶として今に残っているのです。

川合運輸株式会社HP

アマリリス

うちの家では2年に一度しか咲かないアマリリス。

奥さんが思い出したように水をやったり、肥料をやるので忘れそうな頃に咲くのです。

そういえば、先日、ベランダで布団を干すときに、「あっ、気をつけて」と言われてよく見るとつぼみが。

そっとわきに避けてから、などと命拾い。

ありがたい連休。だいぶ溜まってしまった書類を片付けながらようやく夕方に一息つけました。

川合運輸株式会社HP

週40時間制

三國連太郎さんの訃報を聞いて、いくつかの作品を思い出しながら、それとは別に思い出したことがあります。

20年も前。あるとき電車に乗ると、中吊りの広告に、三國連太郎さんが出ていました。

やさしくにっこり笑って、脇の文字が「週40時間制を実現しましょう」というもの。

もちろん当時から三國さんは好きな俳優さんでしたが、その文字を見た時に、別に本来三國さんが言っているわけではないのは承知のうえで、「この業界の現状をわかって言ってるんですか?」と心のなかで呟きました。

まだ当時はとても実現するにも雲をつかむような状態でした。

ところが、どうもその頃を境に状況がすこしずつ変わって行きました。

結局、世の中が40時間制になっていくに従い、さまざまな分野の取引先が土曜日は稼働しなくなって行きました。

お客さんの工場が稼働していても、納品先が休みであれば、配達もなくなっていきます。
そのようなわけで、それまで平日とほとんど変わらずに稼働していた土曜日が、極端に動きが少なくなって行きました。

そして、年末年始や連休など、おもに工場のあるお客さんが長い休暇を取るようになったので、完全週休とは行きませんが、土曜日や連休中などを交替して出勤するように調整すれば、年間変形労働時間制の採用で、週40時間をクリアするようになったのです。

その後、しばらくしてテレビで三國さんを見た時に「失礼しました」とひとりごとでお詫びをしました。

川合運輸株式会社HP

職業?

子供のなりたい職業で、政治家が141位だと話題。それをどう思いますかとの国会のやり取りがありました。

なんでも140位は刺青師なんだと。

でも政治家を「職業」として見るものなのかどうか、という感じもします。本来そういう観点からの仕事でもないような。

おそらく平和な世の中で成り立ってきた部分があるのではないでしょうか。

以前に会社でも年配の先輩が、「最近は政治家ではなくみんな政治屋になっているからなあ」といっていたことを思い出しました。

なるほど。既に今の子供たちは、本来の目線で見ているでしょう。だから、その中で「民のため」という人たちがたくさん出てくると期待しています。

あれよあれよという間に、これだけの国難に囲まれてしまった現状。その中でも生命をかけてる人たちもいると思われますので、これからのことは大丈夫だと。

田中正造の話しが出たので、そんな事を思いました。

川合運輸株式会社HP

足尾銅山

足尾銅山といえば銅山の鉱毒事件の事を抜きには語れませんね。

もともとは江戸期から採掘されていた鉱山でしたが、明治期に近代化と新しい鉱脈の発見によって飛躍的に産出量が上がり、それにともないガスによる汚染で付近ははげ山となり、排水に含まれた鉱毒が下流に流れ、農業に甚大な被害をもたらしたのです。

私が訪れた頃は、閉山していたものの、まだ精錬所が操業していた時代。貨車がまだ動いていました。そして確かに周囲は黄土色の世界。

森林を復元するための植林事業は何と100年以上も続けられているのです。それでも荒涼とした場所はまだまだあり、2011年の震災の影響と思われる土砂崩れから、河川の汚染がいまだに観測されるというような状況なのです。

一度失った自然をとりもどすのがいかに大変か、思い知らされますね。

ところで、この鉱毒事件による渡良瀬川流域の住民を助けるために立ち上がったのが田中正造。現在の佐野市出身の政治家です。

実は、この足尾線に乗っかってのんきに車窓を眺めていた時分はもちろんのこと、割合最近まで実は田中正造の事は知らなかったのです。

私の子供が小学校の授業で国語の教科書の音読が宿題のような日課になって、家で繰り返し毎日聞かされた文章が、この足尾鉱毒事件と田中正造の活躍の話。

何故か子供は、この文章がいたく気に入ったようで、普段とは違ってやけにいきいきと音読していたので不思議に思っていました。話が佳境に入り、明治天皇への直訴未遂のあたりまでくると殆ど講談でも聞いているような感じでした。

田中正造
原典 ”幕末・明治・大正 回顧八十年史” 東洋文化協會

川合運輸株式会社HP

4月1日

今日は4月1日。新年度ということになりますが、私にとっては毎年、この日は何かと先代である父を思い出す日です。

19年前に他界した父ですが、そのひと月ほど前に最後に一緒に食事をした日として覚えているのです。

その頃は、親子で同じ仕事をしていれば、当然あれこれありますね。すでに所帯も別ですので、特に私が倉庫業務に張り付いていた時期でもあるので余計に顔を合わせる機会も少ない時期でした。

そんな頃に明け方に随分と臨場感のある夢をみて、そこに父がいたのです。私が小さい時に父を見上げるような感じ。お酒を飲んだ様子の父でした。その場の雑音の気配まで感じるような夢だったため、目が覚めてもしばらくそのまま幼い時の父との関係を思い出していました。

そしてその朝、客先より、緊急の要請の電話が入り、急遽私は車で出かけることになりました。その報告を父にしたときに何故か父も同行するということになりました。そのときに不思議と私は「良かった。」と思ったのです。

普段はそうそう会話をするという感じでもありませんでしたが、その日は車内でずっと一緒なので、あれやこれやと結構、昔の話まで喋ったのです。

たまたま外環道が開通したてで、そこを通った際に丸い遮音壁がつづく新しい道路を見ながら「隔世の感がある」と話していたのが印象的でした。

そして帰り道、京葉道路のパーキングで簡単な軽食をとったのが父との最後の食事になりました。翌月に父は会社で急に倒れ、そのまま意識がもどらずに亡くなったのです。

毎年自分で意識しているかどうか、この日が近くなると何かと父のことを思い出すのです。

川合運輸株式会社HP

年度末

3月末が年度末という事で、いろいろな区切りです。

会社の決算期は違うのですが、監督官庁の関係で3月末で実績集計して報告するデータなどもあります。

昨年春からの1年間は、それまでとは比べ物にならないほどの変化のある年でした。来年度もたくさんの方々の活動の一助になれればと努力したいと思います。

区切りの話しが出た所で、余計なことをあえて言えば、連続ドラマ。いつもの事ですが、最初の頃に見る機会があるかないかで、今回は見る機会があったため、夜遅い時間でもすべてとは言わないまでもある程度見ていましたが、最後の最後まで見て、びっくりしました。

落語で、「早く帰ってきて驚くことはないよ。すぐ帰るといって30年帰らななかったら驚けよ。」という話しがありましたが、半年見て驚いたドラマでした。

出演者はいい俳優さんぞろいでしたが、ずいぶんと後味が悪いストーリーですね。武田鉄矢さんの役割がなんだかもったいない。

逆に言えば、普段私たちは自分たちの見たいドラマを欲しているという事をあらためて再認識した次第です。

このドラマは眠り姫を題材にしていましたが、なんとなくすっきりしないので、ここはチャイコフスキーの眠りの森の美女をたっぷり聴いてみることとしよう。

川合運輸株式会社HP

続アレルギー

今日は再び花粉症の話題に。

以前に、私は普段薬を飲まないという話しをしたので、その方も最近は薬離れになっているとか。

ところでビールは麦芽の作用で、あまり花粉症の症状には良くないのだとか。実際普段ビールを飲んでいるわけではないのでわかりませんが、どうなんでしょう。

ところで最近家では何かと、乳酸菌飲料が出てきます。それもブランドは昔なじみですが、別の商品で、これが免疫力の強化にいいらしいのです。丁度お話した方も全く同じ物を飲んでいるということでした。

ヨーグルトのある商品がインフルエンザに効くという事は、だいぶ有名な話だそうですが、ついこの間まで私は知らなかったです。先日スーパーでは数量制限一部解除などという貼り紙を見てはじめて知りました。

このアレルギー症状。私はもともと寝不足などで強く出ます。

昨日はかなりの頭痛が出てしまい、どうにもならないので、そうとう久しぶりに頭痛薬のお世話になりました。さすがに良く効きますので怖いくらいです。この薬も選ばないといけないようですね。

川合運輸株式会社HP

ある日の風景

今日は家族以外は想像もつかない家での様子を。

昨日の朝、お化粧中の奥さんのいる部屋へ入るのに、めずらしくノックをしようと。そこへ途端に浮かんだのが、休符の後の三連符でバーンとドアを開けて「運命が戸を叩いています!」と少々驚かせました。(ベートーヴェンの第五番「運命」の冒頭)

このあたりはごく普通の日常風景。特に誰も反応なし。

そして、車に乗り込んだときはどうも心境が変わっています。何の意識もしないまま、何故か口ずさんでいたのは何と、月が出た出た、と「炭坑節」。

これには奥さんも驚いていましたが、自分でもなんで?

少々色々あって、先週末から頭のなかが混みいっていますが、昨日も一日格闘していましたので、夜になって帰りがけには音楽も浮かばないほど疲れ気味。

車を出そうとしてふと脇を見ると、東の空にオレンジ色のまんまるな月が見えたので、おお、これぞ炭坑節だ、などと言いながら・・歌まででませんでした。

家で片づけが終わり、さて日付も変わろうかという時に、つけたテレビからニュースが。
道徳教育の充実を図るという方針がだされ、教科化も検討されると。

これはおもしろい時代に。なにしろ私は自分が中学校時代から、道徳こそもっと大事にするべきことではないかと思っていた授業。

一日終わってみれば、よい一日。これはめでたい。そうか、今日は「花笠音頭」だ。

川合運輸株式会社HP