さいたま市の川合運輸株式会社です

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成年後見?

税理士の先生との話の最中、近く、周辺の裁判所へ用があるとの事。何か係争中の話ですかと聞くと、そうではなく成年後見についての件でとの事。

あまりこういう話には疎いので、ああそうですか、などと話していたのですが、最近はこのことに関心を持っている人が多いのだとか。
ところが、今日たまたま同席していた奥さんが、突然、「女性の中ではとても話題になってますよ。」

後見人というと、未成年のためというイメージですが、最近では、一人暮らしの人が多く、自分の死後の事について非常に悩んでいる人が多いのだとか。

いえ、死後の世界がどうのではなく、自分が判断能力がなくなったようなときに、財産のことなどをきっちりと段取りを決めておくために、成年後見人を決めておく制度なのだそうです。

ただ、弁護士さんなどその役割をになっているのですが、中には結構あくどいことをされるケースもあるようで、その辺をもっと公正な形で安心して相談・依頼ができるような組織を作る計画があるとの事です。

二人のやり取りを「はあ」「ほお」と聞いていましたが、毎日今日明日のことで悩んでいる身にはちょっとピンとこないですねえと言ったとたん大笑いされてしまいました。

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関西の節電

尋常でない暑さが続きます。昨夜は、先週に引き続き再度、週末に関西に出かけていた奥さんが帰って来ました。関西も関東も暑いのは同じですが、今年は関西は節電モードの関係からか、大きな施設ほど暑かったとのことです。百貨店や地下街、駅構内の店舗ないもだいぶ暑くて気分が悪くなったそうです。それでも打ち合わせで入った小さい喫茶店は十分に冷えていたとか。

それでも、受け取り方は少々関東とは違うみたいです。
計画停電についても「一度言い出したからにはホンマにやるんやろな」という感じ。影響については「なるならなるで、なんとかなるやろ」(すみません。一部の意見だけかもしれません。)。

原発再稼働に反対するデモも、当初はあまり報道されていなかったようですが、ようやく取り上げられるようになったようです。

黒澤明監督の「夢」の中でのシーン。実際に私達も、セシウムとかストロンチウムなどと身近に聞くような事態が本当に起きてしまった。
人間が制御できないものに頼るのは、やはり無謀というものです。

ただ、問題は、今の時点で何をどうすればいいのかという事。
結局、情報に疎い私が悪いのか、情報をあまり出さない側が悪いのか、現状ではわからないことが多すぎます。
原発にからむ利権のことは元々あるにしても、ここには他にも、色々な問題がからみます。

国防の観点からの技術維持
現状の火力発電を続けた場合の貿易赤字と、それに伴う国債・為替の影響
自然エネルギーでの具体的な能力

ただ、これまで伏せられていた問題が表沙汰になる部分もあるので、それはそれで良いとは思いますが。

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関西

先週末は関西に行きました。
昨年の初め位からは、もっぱら車で行ってましたので、新幹線は久しぶりです。
荷物が重いのでカート式のカバンでした。当然エスカレーターを使うのですが、夜おそく新大阪のホームについて、エスカレーターに乗り、カートを置いた直後に慌てました。
以前はそれなりに心得ていたのですが、しばらく新幹線を使わないと、忘れていました。
新幹線に乗るまで、何回かの乗り換えで、当然エスカレーターでは左に立つのですが、大阪についた途端に、皆さんはっきり右に立っています。

あまりこのての話題はあたりまえという感じで、そんなに関心は皆さん持たないのかもしれませんが、細かいところの違いを私はいつも面白く思ってしまいます。

やはり西と東では色々違ってくるようで、たこ焼きについても、関東では最近、スーパーなどに良く見かける店も、東京の地名を掲げているだけあって、作る過程が違いますね。あんなに途中で油をいれてるとは思いませんでしたので、最近勝手に私は「たこ揚げ」と呼んでいます。

私にとっては当たり前でも、関西出身の奥さんは、やはり関東平野の広さは特別のようで、しきりに空が広いといいます。

確かに関西は、少しの距離で大阪の夜景が綺麗に見えます。

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35年前の吹奏楽コンクール関東大会

昔のコンクールの話をしていましたら、こんなものが出てきました。
えーと、何年、いや何十年前になるんでしたっけ。
だいたい35年くらい前になりますか。

吹奏楽の楽器。微妙な立場のユーホニュームを吹いている私です。
埼玉会館でおこなわれた関東大会ですね。
当時は埼玉では地区大会というものはなく、県大会から始まりました。次に進むと関東大会。次にすすめれば全国大会です。

大会後、担任の先生に報告に行った時、先生が「ご苦労さんでした。ところで金をとったのに、なんで全国大会に行けないのかい?」「ええ。金のなかでも上位三校が行けるんですが、それには入らなかったんです。」「ああ、そうなんかい。不思議に思ってたんだよ。」などという会話を思い出しました。

演奏終了直後、顧問の先生からは、「もう悔いはないだろ」などと声をかけられましたが、私としては結構悔いだらけの部活動時代でした。

JR福知山線尼崎脱線事故3

それでは裁判の判決などは別にして、本来どうするべきであったのか。ということが問われます。
事故を予見できたのか、出来なかったのか。
これは、「想定できたのか」「想定できなかったのか」と言い換えると、まさに現在の原発事故の問題を経た私達には、福知山線事故の当時とは違う視点から考えなければならない事になってしまいます。

当時の常識では「予見できなかった」としても、ある一定の理解を得られたとしても、現在の常識は変わりました。
ミスをした社員に対し、ペナルティの意味合いを含む教育がなされていたとしたら、戦後の「貴様らは・・」とは時代を飛び越えて、新たに「精神論で・・」との批判は受け入れざるを得ません。

常識では考えられなくとも、人間が操作すれば起こりうる危険は「想定できる」事象に入ります。乗客の命を第一に考えれば、積極的により安全な装置の導入を計画的に進めなければならないという判断が正しいと思われます。

それでは、鉄道会社には、そのように判断すべきと考えた人はいなかったのでしょうか。
ここで、以前にホームの安全の事で触れた、鉄道技師に島秀雄氏の話になります。
島秀雄氏は生前、ホームドアの件とは別に、鉄道の進むべき方向として、「鉄道車両の運転は完全に自動化し、人間は安全確認に注力する」と主張していたというのです。

島氏は、専門家としての膨大な事例・研究から、おそらく早い時期に、人間による操作の正確性に限度を感じ、既に進むべき方向性は見えていたのではないかと思われます。

ただ、現実の鉄道会社の運営側としてみると、輸送需要の増大化の過程、そして人口減による旅客数の減少の時代と、常に、目の前の事象に対応を迫られ、「理想」は後回しにならざるを得なかったとも言えます。これだけ相互乗り入れなど、複雑化した路線に、さまざまな種別の列車が行き交う大都市圏の車両、しかもこれだけ高密度で運行されている鉄道車両を自動化するには、一体どれだけの・・。それにかかる費用は?・・、新たに決定された整備新幹線の予算は?・・ ・・・

「人」のために、よりよい道を考えるには、経済的な常識から離れて、それこそ極端に言えば「理性と英知」にまで踏み込まざるをえないほど、現在の私達につきつけられた問題は重いのです。

想い

現地の方々とは、再訪を約束して帰途となりました。
被災地の生の声は、やはり直接聞かないとわからないことも多いようです。
マスコミのインタビューに答えても必ずしも、そのまま伝わらないこともあるようで、そのようなことから、だんだん話すことをやめてしまうという事もあるようです。
風評被害の問題も非常に複雑。自力で何とかしたいという気持ちを皆さんが持っておられることもよくわかりました。

皆さんとの話の中で強く印象に残る、皆さんが伝えたいこと。

「とにかく皆さんに足を運んで来て欲しい。」
「想いを寄せていて欲しい、想いを共有して欲しい。」
「私たちのことを忘れないでほしい、そして震災のことを伝えて欲しい。」
「そして震災復興の活動を通して、みんなが自分たちの生き方・暮らし方を考えていただければ」

これからたくさんのことを学び、細く長く、応援させていただきたいと思っております。

栗原市にて

翌日は場所が変わり、内陸の栗原市。こちらの地域は、震災時では最大の震度を記録したところです。

酪農家の作りたてアイスクリーム あいすむら 有限会社小山牧場の小山さん。


安全安心な牛乳を生産するために、大変な努力をされています。アイスクリームはとても美味しいです。

このお店で買える、栗原ブランド・一迫のなたね油。昔ながらの鉄釜を薪でゆっくり抽出、香ばしい油ができます。この会社は有限会社長崎高原ファームの狩野さん。実は、こちらでつくられたお米を、弊社で以前運んでいたことがわかりびっくりでした。

続いておなじく栗原市のくりはら直売館よさこい。
こちらのお店のひとつ、栗原産野菜とおそうざいの「旬鮮彩菜わくわく」で売店を働かれている黒澤さんは、弊社の元社員だったかたのお姉さんでした。この地域は弊社の元の営業所にも近く、このように関係した人に会えました。
風評被害の影響もあるなか、皆さん頑張っていらっしゃいます。

あいすむら 小山牧場  宮城県栗原市一迫字屋敷田18-1

くりはら直売館よさこい 宮城県栗原市築館字照越永平1-1

南三陸の現状

先週後半、弊社専務が宮城県の被災地情報収集に団体参加しました。

もともと、弊社と東北は深いつながりです。高度成長期に東北地方の各地に電子部品関係の工場、そしてその協力会社などが次々出来て、その各地を定期便にて毎日、運行し、埼玉・東京を結んでいました。その運行の殆どを、宮城県の乗務員さんが担当し長年、安全に運行を遂行されたのです。時代が変わり、今度は次々に工場の閉鎖などが相次ぎ、取扱量も減り、昨年の震災の前年の終わりに定期の運行は終了していました。
以前に運行していたルートには大変な被害を受けている地域が多く、皆さんがどうされているかも今となってはわからない状況でした。

初日は石巻・南三陸方面でした。
南三陸の合併前の旧志津川町にもお客さんの工場がありました。もちろん、そのあたりは現在は何も残っていません。
幸い、県議でいらした元社長さんは健在でしたが、同じ地域の議員さんの多くが、震災時、丁度会合で集まっており、避難先が防災庁舎で、避難を呼びかけながら命を落とされた女性と同じ建物で多くの方が亡くなられたということでした
助かった方の話では、一回目の津波が引いた後、家に戻ってしまい、次の津波で亡くなれれた人も多いとのこと。明け方まで津波は繰り返したようです。

復興に関しては、一言で言えば、まだ何も始まっていないという事です。特に、被災した中小企業に対しての救済は何もなされていない状態です。
そのような中、だからこそ自力で立ち上がっている経営者の姿が大変印象的だったとの事です。

2012年4月11日、第二創業を始められた会社
丸平木材株式会社

自宅・会社が流されていくのを目の当たりにしながら、すでに営業再開された鮮魚店
株式会社ヤマウチ(山内鮮魚店)

石造りの教会

ヨーロッパの教会・・のように見えます、が。
今週の日曜日は早朝から宇都宮にいました。歩いていて突然すごい建物を見つけました。大谷石でできた松ヶ峰カトリック教会です。スイス人建築家、マックス・ヒンデルの設計のロマネスク様式の教会堂です。
JRの宇都宮駅ではなく、東武の宇都宮のすぐ脇になります。
大谷石で有名な地域ですが、こんな立派な建物があるとは知りませんでした。1932年完成となっているので80年になりますが、途中戦災があったりで、その後修復工事などがあったようです。
時間がないため、内部を見れませんでしたが、いずれ。

近くの商店街にて何か設営中・・・このようなときは気になって、じっと見てしまいます。ユニック車での作業中、どのくらいの重量だろう、などと見ていると、走ってこちらへ来る人が・・。怪しまれたかなと思ったら、「これからイベントがありますので、是非来てください!」とさわやかな笑顔。(ごめんなさい、時間がないので)
早朝、宇都宮で、昼には日本橋あたりで、夕方前から浦和で、仕事でないのになんだか随分忙しい休日でした。

フレンチプレス

画像に見えるブルーのフレンチプレス。もともとはこれは紅茶用と思っていましたが、そうではないのです。
一時期、家でもこの方式でコーヒーを飲んでました。ドリップ式に比べて、お湯の温度だけ考慮すれば、味にばらつきがありません。
フレンチプレスはコーヒー碗の底に、ある程度粉がたまります。それが人によって好き嫌いがあるようです。底だけではなく、確かに全体的にも粉っぽい感じもして、より豆のオイル分が感じられます。そのため、良い豆を味わうにはいい方法とも言えるのです。

そのフレンチプレスを使うきっかけになったのがこの店。

昨日の小諸からの帰途、18号線に出たところの交差点が「平原」。あれっ、ということは、すぐに丸山珈琲の小諸店が・・ありました。
眠気が出ないようにここで休憩。ついでに少々仕事の片付けも。

このお店は、確か自動車販売店かなにかだった建物を利用したもので、ひろびろしています。片側ではガラス張りになっていて、焙煎の様子などが見えます。
オープン直後の頃に行って、しばらくぶりですが、お客さんは盛況でした。