さいたま市の川合運輸株式会社です

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信州・小諸

今日は長野・小諸のお客様との打ち合わせ。佐久・小諸方面は久しぶりです。
今回訪問したのは電子部品加工のお客様です。国内のエレクトロニクス関連のメーカーさんはとにかく大変な状況です。リストラに買収の連続で、数年で3回も会社名が変わった工場もあるとのこと。そのような中、こちらの会社では堅実に営業されています。そしてリスクを回避するためにも積極的に分野を拡げておられます。
話の中で、「信州人気質」ということがあったので、後で詳しくお聞きしようと思ってましたが、ばたばたして聞き損ないました。

埼玉にいると、長野県内でもそれぞれのエリアを全く別々に感じてしまいますが、こちらの人の中ではあくまで「信州」というものであるということは以前に聞きました。
道路の整備でようやく交互地域が一定時間で行けるようになったようです。
中部横断自動車道はまだ開通区間はわずかですが、全通時には静岡県の清水までつながるというのですから結構すごいです。

画像は、この地域を通るたびに印象に残る風景。もっと広角でとらないとわからないのですが、ゆるやかな斜面から山に向かっての景色がとても雄大です。

武道館

週末はとつぜん武道館へ。
親戚の子、といってもとてつもなくでかいのですが、全日本学生柔道優勝大会です。到着してすぐ、女子がおわり、男子の開会前で、全員がフロアにずらり。君が代斉唱。柔道を見るのははじめて。武道館もだいぶ久しぶりです。

並んだ学生が、試合開始にあわせて引き上げると、武道館のフロアにはカラフルな畳。六面での同時進行です。昨日は別のイベントがあったため、深夜からの準備作業だったとか。
そういえば、柔道ではないですが、以前、別の武道の試合のマットの運搬の話がありました。競技によって使用する道具もさまざまで、名称や数はわかっても、具体的なサイズや重量がわからないと積載量を算出できず、見積もりを出すまでにその都度いろいろ調べる必要があるのですが、なかなか初めてわかることも多く面白いです。

北の丸公園は昔の江戸城のエリアですから、皇居のお堀も含め、関西からの親戚はその規模の大きさに感心しきり。「きれいわあー、でっかいわあー、大阪城のお堀とぜんぜんちゃうわー、天皇陛下ってどこらへんに住んではんの?」・・・だそうです。・・・

 

教育談義

税理士の先生の定例の監査日。
何かの話題の折に、ふと先生から「うちの会長とおたくの先代は、教師時代の同僚でもあったんですね。」と言われ、しばしその話になりました。

もともと公認会計士の先生(今の会計事務所の会長さん)と先代は小学校時代の同級生でした。その後、先代は教師になりましたが、その会長さんも当時、教師になり、1年間だけ同じ中学で同僚だったということなのです。
なるほど、ただ小学校の同級生だっただけでは少々縁遠い。教師時代の同僚という間柄で顧問を頼むようになったんだと、再認識。

そこでお互いの共通の感想が、両方の親とも比較的短い教師時代の割には、地元で何かとあとあとまで教え子の人との交流が続いたり、「ああ。あなたは・・先生の息子さんか」という話になったりと、今の感覚で言うと不思議に感じるというもの。

要するに、その時代(戦後まもなくの頃)は、その人の個性を存分に生かした教え方が出来た時代だったんだろうなということだと思うのです。

監査が終わってしばらくの後、別の来客が。まだ若いディーラーの営業の人です。
荷動きの話題のあと、そのかたが突然「先輩に聞いたんですけど、社長のお父さんは元教師だったんですってね。」!
なんだか今日は、その話題の日なのかなということで、しばらく教育談義(かなり自分勝手な内容でしたが)が続きました。

新端末は?

マイクロソフトの次期OSの話は聞いていましたが、それにあわせてタブレット端末を出すとか。今までマウスやキーボードなどはありましたが、端末そのものを出すとは結構意外です。

まだよくわかりませんが、なんでも裏面がキーボードになっていて、ノートパソコンのようにもなるのだとか。

どちらかと言うと、よりビジネス的な使い方を重視した端末になるのかなと思いますが。
現状、仕事上ではさすがにiPadメインは無理です。重さでいえばノートパソコンと重量が同じですし。スマートフォンを使用してからは少々iPadの出番が減りました。カバンに入れるならノートPC、ポケットならばスマートフォンという棲み分けになっています。

ホントに薄い端末でなんでもできたらカバンはいらなくなりますかね。そのかわり本皮の封筒が売れるようになるんですかね?

物流産業新聞社さんの取材

本日は物流Weeklyの株式会社物流産業新聞社さんが取材に来て下さいました。

Gマーク認定に向けての取り組みと、弊社の社内改革への取り組みという話題が取り上げられました。

画像は左が株式会社物流産業新聞社の大西さん。右は弊社、営業・広報担当の川合専務です。ふたりとも関西出身。ひととおり、取材が終わった後の、地元の話題は、こちらでは全くわからない内容ですが、盛り上がっていました。

大西さんは物流に関する高度な資格もお持ちで、情報の最先端で仕事をされている方なので、一応運輸業界に長く属している私でも少々雑談するだけでも質・量ともに桁違いの情報です。こちらが取材を受けたのに、逆にこちらが様々な話題で勉強させていただいた時間となりました。

物流Weeklyさんのサイト

マーガレット・サッチャー

だいぶ遅くなりましたが、「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」を観ました。
まずはメリル・ストリープの演技はすごいです。

私はサッチャーという人がどういう経歴の人だったかを知りませんでしたが、議会での様子の映像は非常に印象的で、相手から批判されてもまったく動ぜずに「あなたにいったい何ができるの?」。後年、夫から「君の惨めな姿を見たくない」と言われて引退を決意したという新聞記事も強く印象に残っています。

サッチャーとエリザベス一世を比較というか、取り上げるケースは多いです。
以前のケイト・ブランシェットの映画エリザベスの中で、エリザベスが議会のなかで、批判した相手を逆にやり込めるシーン。このシーンこそ、これはサッチャーの議会でのシーンをイメージしたものではないかと思ったものです。

映画では、最近知られることになった認知症の症状をからめて、現在と過去が繰り返し出てくるめまぐるしいものですが、おもに夫に先立たれた寂しさや、周囲に疎まれての退陣の悲哀を濃くイメージして、現役の華々しさ、鉄の女といわれた姿との対比を出しているのでしょうが、現在の私にはそれよりも現実のサッチャーの生き方に関心が行きます。

フォークランド諸島の紛争は、当時衝撃的でした。でも現在の日本に突きつけられた問題として、この映画で描かれているサッチャーの決断は大変重いです。

「人命に代えてでも我が英国領土を守らなければならない。なぜなら、国際法が力の行使に打ち勝たなければならないからだ。」~マーガレット・サッチャーの名言 格言より

町営バス

めずらしいバスに乗ってます。
普通の路線バスではなく、町営、正確には市営バス。
お客さんは私だけ。なので、あまり時間は関係ないらしく、予定外ですが燃料入れますが、到着時間は大丈夫ですからと、スタンドへ向かうのかと思ったら、突然車庫へ向かって軽トラックのタンクから給油。こんな手がありましたか。

こんな道を40kmで走るので、普段は後ろから煽られぱなし、迷惑かけっぱなしなんだそうです。今日はそうでもないみたいです。
平日は病院に行くような高齢の人が主な利用者ですかと尋ねたら、もちろんそのような人も利用するのですが、平日は学生が利用しますとのこと。では、一杯ですねと聞くと、「いやローカルですからそこまでは乗りません」。

色々話してくださるのですが、この十数人乗りのマイクロバス、大分くたびれていて、駆動関係のどこかが相当ガタが来ているようで、普通に走っているだけで相当な騒音。なかなか聞き取れないのが残念。それでも運転手さんの、以前のお仕事の事なども聞いているうちに到着。

当然、このあたりでは車が必須。でも運転できない人にとっては大事な足です。隣の町では最近、このようなバスが廃止になってしまったようで、切実な問題です。

安全教育ミーティング

本日は安全教育ミーティングを行いました。
教材スライドあり、社内事例の分析あり、そして今回は社内の新体制の報告や、今後の営業方針の報告もあり、前回同様、予定より時刻をオーバーしてのミーティングになりました。

私はどうしても資料作成に時間をとられるので、細かいところまで気が回りませんが、休憩時間での飲み物の用意など、参加者が自主的に配慮してくれるのが、弊社のいいところです。

予告していた、外部研修参加のベテラン乗務員さんにも体験談を発表して頂きました。印象深く感じたことを話してもらえばいいですよと言っておいたのですが、やはり皆さんの前で発言するとなれば、きちんと自分なりに資料にまとめたものを用意していたので驚きました。でもだいぶ緊張してしまったとは、後での本人談。

今後も定期的に行いますが、終了後の雑談で、今後出来るだけ話が一方通行にならないように、全員参加型にしていこうとの意欲的な提案に、私は背中を押されっぱなしなのです!

お得意さん

写真に載っていた最初のお得意様。
当時バイクに乗っていいた人は珍しかったと思います。
どこかの郷土資料館に手動動力の農業用の機会に、この会社の名前がありましたので、もともとそのような製品を製造しながら、内燃機関を動力とする機械の製造にのりだしたのでしょう。
最近叔父から、エンジンは富士重工から調達して自社工場でトラクターなどを製造していたと聞きました。
それこそ本当に全国を一緒に回って売り歩いたというのです。後に、祖父は寝るときには、お得意さんの方角には絶対に足を向けなかったと、よく聞かされました。

時代がくだり、需要の変化もあったのだとは思いますが、耕運機などを運ぶことは無くなって行きました。
二十数年前までは、その工場も残っており、おそらくは一部海外などで生産しながら営業されていたのではないかと思われます。
運送でのお客さんではなくなっていましたが、何かの所用で数回訪ねたことがあります。事務所の床は油の匂いのする、茶色い木の板張り。ギシギシ鳴らしながら奥へ行くと、「第一応接室」などと黒い板に手書きの白いペンキで書かれてあり、往時の活況を思い起こさせる建物でした。
今は既にマンションなどになっていて、面影はありません。

昭和一桁 創業間近い時代

この写真も昔の社報の冊子に載った写真です。最近、おそらくはこの印刷に使用したと思われる台紙付きの写真が見つかりました。

場所は川越、旧市街に近いあたりです。左側に見える参門は川越夜戦で有名な東明寺です。
運転台にいるのが創業者の祖父・川合秀丸です。荷台に立っている前掛けの子供が先代の父・川合政一です。
先代の見かけの年齢からすると、まだ創業前の昭和7、8年と思われます。

ひときわ目を引く、バイクに乗っている人が、後の最初のお得意様になる、農機具などを製造販売する会社の社長さんです。
この会社の新製品の出荷を記念しての写真だったのではないでしょうか。

義理の叔父によれば、この社長さんと祖父が一緒にトラックに乗って、あちこちをまわり、製品を売って歩いたということなのです。
当時では、ある意味それが先端の販促活動だったと言えるのでしょう。

創業は昭和10年、中古のT型フォード1台とありますから、この写真の時期の後、運送業として発足したことになります。名前もお客さんの商品名にちなんで「日の出運輸」。
その後、お得意さんの工場の移転と同時に、会社も移転したのが、昭和15年。丁度、国鉄の全身である鉄道省の川越線の開通の年で、場所もその川越駅の近くでした。