さいたま市の川合運輸株式会社です

2月 2013Monthly Archives

首都圏物流

今日は大変な強風でした。ずいぶんと工事による渋滞も多かったですが、風の影響で道路にもあれこれ飛んできたものが散乱していてよけながらの運転です。

今日は久しぶりに埼玉県北部のある地域へ。以前はよく訪れたところですが、ほんの数年前にはなにもなかったところに、広いバイパス、そして広大な施設が出現しています。

お客様と待ち合わせして、新しい物流施設を見学させて頂きました。さすがに綺麗で設備の整った施設です。

やはり物流は、すべてに共通することあり、逆に品目によって全く異なる面あり色々勉強になります。

もう十数年前から、災害時のことも考慮して内陸側に拠点をさがしているケースがあると、この地域の業者さんや地主さんから聞いたことがあります。

だいぶ以前でしたら首都圏の物流を考えると湾岸地域が主流でしたが、埼玉北部や群馬南部からも首都圏全体をカバーできることから、この方面の物流拠点もだいぶ増えていますね。

圏央道がようやく目処がたってきました。あと2年ほどで広範囲に開通しそうです。外環道の千葉側についても同じ時期になりそうですが、そうなると首都圏を外周から取り巻く物流地図も大きく塗り替わりそうです。

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景況感

先月後半にある人から、すでに世間では浮き足立ってますよという話しを聞きましたが、今日は、具体的に飲食店が1月から非常に上向いたという話し。

今ではなかなか株高ということを聞いてもピンと来ませんが、昨年後半でも特に悪いとされた飲食店の売上があがったと聞きますと説得感がありますね。

どうも話の感じでは法人の利用が多いような。これからの期待感がそのような流れになっているのかも知れません。

いつも面白いと思うのは税制改正。このところ決まるようで決まらないといった事が多かったですが。

中小企業の交際費課税特例が1年間拡充されて、600万円まで90%損金算入のところ、「800万円まで全額損金算入」とあります。

これは飲食店にとって大変追い風になると思われるとのこと。結構長いこと、このへんが改定されればだいぶ違うのにという声は多かったと思いますが、1年とはいってもこのタイミングで実施されるのは面白いですね。

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降雪

今回の首都圏の降雪については事前の報道が多くありましたので、だいぶ車両の通行も少なかったように思います。

天気図での等圧線の形が前回とはだいぶ違っていましので、勢いも弱かったようです。

弊社の車両も、通常よりも3時間程度は早く出発するなどして対応しましたが、南部はほとんど積雪がなかったのでおおむね予定通りの運行に収まりました。

前回はある行事が途中で中止になるなどの影響がありましたが、今回はそのようなこともなく、一安心です。

それにしても空を見上げて雪など見てるぶんにはいいのですが、同じ空でも、さらにはるか遠くからとか、近くの海から遠くの海まで、果ては宇宙からもあれこれ心配なことが続きますね。

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自転車

家族の自転車が久しぶりに帰って来ました。
どこへ行っていたのか、本人は何も言わないのであえて聞かないことにして・・。

突然いなくなってしまった自転車置き場から、何ヶ月ぶりに同じ自転車置き場へちゃんと自分で・・なわけないんですが。

家族は鍵をかけ忘れた事で、繰り返しこっぴどく注意されています。なので使用している人だけ責められないのですが、忘れた頃に戻ってきたのは何故でしょう。考えられるは今のところ2つくらい。

自転車が必要なくなったので、元の場所に返した。

両輪ともパンクしたので、乗れなくなったから元の場所に返した。

でも何故元の場所へ?
もしかしたら、もうひとつ、修理してくれということかな。(こら!)

無断使用は良くないことなのでやめましょうね。

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マルガリータ

唐突ですが、私は中学生時代は、規則で坊主頭でした。
床屋さんで最初は5分刈り、その後は3分刈りです。まわりが全員一緒で(もちろん男子だけ)、行動範囲も当時は狭いもんですから特に気になりません。
でも都心の雑踏に行った時に少々恥ずかしいと思ったこともあったかもしれません。

三年生の時ですが、吹奏楽部の顧問が突然、「さて今度の関東大会は気合をいれて男は5厘にするか」と言ったのです。

でも当時は本当に気合入ってましたので、生徒側も「おう!」という感じ。次々に「おっ、やってきたな」という感じでホントの坊主頭になりました。

私も床屋さんで「5厘にお願いします」というと、床屋さんの人は少々驚いた感じで、いつもと様子が違います。

そのうちに心配そうに小声で、「何かあったの?」と耳元で聞いて来ました。当時は(今もですが)、相手が理解したかどうかはあまり感心がなかったので、「関東大会に出るので5厘にすることになった」とだけ答えましたが、考えてみると相手は理解不能だったかも。

はじめての5厘刈り。さすがにバリカンのやり方が違います。角を押し当てるようにゴリゴリとこするように刈っていきました。

そして家に帰り、玄関から家族のいる食卓へ、扉を開けた所で先に進みません。あれ?なんだこれは?扉の上から垂らしてあるのれんと頭がすごい摩擦で通過できないのです。さすが5厘。

あれ?
今日の題名と全然話題が・・・。すみません。

マルガリータは、悲運の女性(恋人)から生まれたと言われているテキーラベースのカクテルでしたね。
おわり。

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恵方

もともと恵方巻きを食べる習慣などは少なくとも関東ではなかったはずですが、最近はスーパーなどでも大いに宣伝してます。

たまたま私は関西つながりで、その習慣をある頃から知ってましたが、関東ではコンビニのCMで「今年の恵方は~」とやっているのが最初のような。聞いたところによれば、やはりこれもバレンタインと同じように、販売促進によるものだそうです。

恵方巻きというのも商品名で、本来は呼び方も色々のようです。

そもそも太巻き寿司も、関西のほうが本場で、ずいぶんと具が贅沢な味に驚いた記憶があります。しかも「かぶりつく」食べ方がほんとらしいのですが。

そんなわけで今日も地元の駅併設の店舗も行列だったとか。

ところで恵方というと、以前にその年の恵方に向かって向きを変える唯一の神社が京都にあると聞き、近くを通った時にその二条城近くの神泉苑恵方社(通称えほうさん)というところに見に行ったことがあります。
年に一度とは言ってもいちいち向きを変えるのはさぞ大変だろうなと思いながら、見て少々驚いてしまいました。

驚いたというか笑っちゃったのですが、そんなこと言ったら怒られますね。
機会があったらどうぞ。

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落ちの沢

会津藩は、南部領の一部、陸奥に移封され、名前も斗南藩となります。藩存続に感涙し、将来に希望と託したものの、当時はまだ半年間雪に覆われた痩地、火山灰地であり、とても一同を養う土地ではないことを誰一人知りませんでした。

「終日いろりに火を絶やすことなきも、小屋を暖むること能わず、背を暖むれば腹冷えて痛み、腹暖むれば背凍りつくがごとし。・・」「挙藩流罪という史上かつてなき極刑にあらざるか。」※

本を読み終えて後、あまりの強烈な印象に、当時の柴五郎少年が餓死と戦った、落ちの沢という地。一体どんなところだったのか。何か機会があれば、それこそ厳寒の季節にと思っていたのです。

大湊線の終点まで行き、折り返しの時間を利用して、駅でタクシーの運転手さんに事情を話したところ、すぐ通じました。

特に何もないがこの路地を真っすぐ進み、鳥居を右に曲がったあたりがそうで、札がでていると、雑木林の入口で教えられ、ずぼずぼ雪に埋まりながらその場所へ行きました。


その時間は少々陽もさして、雑木林に雪もキラキラ光り、今となっては当時を偲ぶのは無理なほど綺麗な光景でした。

帰り道、運転手さんが教えてくれたのですが、現在までもずっと定期的に旧藩士の供養のためのお供えを続けている老人がいらっしゃたとの話しです。ところが、つい先日お亡くなりになったところだとの事でした。これからはどうなるかなあとも話されていました。

列車の時間までまだ少しあるからと、海岸にある、上陸の地の碑なども案内していただけました。そして駅までと再度車に乗り込もうとした時にふと見上げた山の頂上。なんだか異質な建物が。

これが最近建てられたばかりの防衛のためのレーダー施設なのだそうです。
運転手さんも、山容が変わっちゃったね、とぽつり。

時代は移り変わりながらも、波は絶え間なくやってくるものなのだと、なおさら実感したのです。

※石光真人編著「ある明治人の記録(会津人柴五郎の遺書)」中公新書 より

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戊辰戦争

「ある明治人の記録(会津人柴五郎の遺書)」

おどろくべき内容。本当に衝撃を受けました。

日本の近年でありながら、歴史とは勝者の歴史?と考えされられます。
このあたりの歴史は数々のドラマがつくられ、現在なおテレビでもとりあげられていますが、まだまだ知られていない事実があるということですね。

単に「戊辰戦争」の四文字で通りすぎてしまうわけにはいかないのです。

少年期の柴五郎の目で見た当時の状況、心情が正直に綴られた第一部「柴五郎の遺書」は100頁少しの内容。これは実際に読んで頂くしか伝えようがありません。

他にも「石光真清の手記」(四部作 中公文庫)が挙げられていましたが、これも明治期。櫻井よしこ氏によれば、日本人の誇りと勇気を取り戻せるに違いない本を、と考えて選んでみたら、すべて明治の人の記録だったとの事。

石光真清は明治、大正期を、シベリアと満州での諜報活動に身を投じた人です。こちらも大陸での壮大な物語のような詳細な手記。

それまで「坂の上の雲」などを読んだりしても、どうも日露戦争時の日本と、その後の昭和期とで、断絶感とでも言うようなものを感じていたのです。ところが、今回の本を自分なりにその間の一部が埋められたように思います。

明治維新当時の日本に生まれた人の特殊な環境が、本来植民地化されてしかるべきの運命を奇跡的に変え、そして国としての組織が本格的に出来上がった頃に歪がすでに生じていたのではないでしょうか。

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