さいたま市の川合運輸株式会社です

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品質

お店で、毎月でも毎年でも、定期的に決まった商品を買っているとします。あるときにその商品の品質が以前とちょっと違って、質が悪かったとします。

そこでそのお客様が、お店に対して意見を言ったとしたら、そのお店は幸運です。

でも黙っている人も多いでしょう。そのお客様が次のときまで様子を見るかも知れませんが、知り合いに「ここは間違いないから」と紹介するのはその時点で躊躇すると思います。

それが商品の代わりにサービスだとしても同じことが言えます。

場合によっては、サービスを提供する側が気が付かないところで、そのような事が発生している可能性もあります。

このような事を未然になくし、よりよいサービス体制をすすめるには、やはりメンバー相互の協力体制ができているかも大きなポイントになると思います。

そのような観点からの取り組みにも力をいれて行きたいと考えています。

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まずは段取り

今日の打ち合わせ中に話題になったこと。

段取りがまだ足りないという話になりました。
今までも社内の指示書などは様式を変更しながら作成していましたが、さらに内容に関して色々見なおす必要があるということになりました。

引き合いに出てきたのが、ある学校のスケジュール表。とてもわかりやすくまとめあげられていました。

わかりやすく言えば、ダメ出しされた、その打ち合わせの最中の私の心中。でも忙しくて・・時間が・・と思いかけた時に、ふと昨日にお会いしたお客様の事を思い出しました。
そのお客様とお話させていただいたのは長い時間ではなかったのにもかかわらず、そのお客様は何人もの人に声をかけられたり、かけたりしていましたが、その相手の方の反応がとても印象的でした。

カバンから何か書類を取り出して渡した相手が、「こうしていただけると助かります。」と感激してその書類を受け取っていたり、廊下でなにやら言葉を交わしていたかと思うと、その相手の人が「そこまでしていただいてましたか。ありがとうございます。」と。

常に相手に対してに心を配られているんだなあと傍らで感心していたのですが、その後、でも、このような準備はとても普段の時間では出来ないとのこと。夜中にほとんど睡眠時間もとれない状況で用意しているのですと話されていました。

やはり忙しいとか時間が・・とかは甘かった。反省。

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正直の上に

総理大臣の解散について、「党より国家、政局より大局を考えて決断したのだろう」と大臣が発言したと報じられています。

それを聞いて、なんだか国民があまりわかっていないところでよほどの危機が訪れているのだと再認識した次第。

それで正直解散の上になにやらついています。

何とか正直という言葉が出てくる事自体はわたしは好感をもっているのですが。

今回ばかりは本当に岐路になる選挙になりそうです。

とりあえず街はすでにクリスマスの飾り付けが始まっていますね。これは初台のオペラシティ。

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異業種の方と

このところ、普段、専務がお世話になっている方々との打ち合わせが続いています。
異業種の方たちで、しかも勉強熱心な人ばかり。

普段、経営者を対象として指導に当たるような立場の人で、しかも人材開発専門の先生となると、こちらも相当緊張してしまいますね。なにかすべてを見透かされているようで。でも昨日はそのようなことはなくとてもソフトな人でした。

こちらとしては雑談の内容の中にも、結構核心をつくような話しがあって、さすがと思います。

色々、自分たちで考えていることもとかく煮詰まりがちですが、第三者の方と話をすることによって、少しずつ考えが整理されてくるような気がします。

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集中

12時前には寝ないとと延々言いながら、昨晩も2時半。
でも今朝はなぜかすっきりしていて、セミナー参加の専務を駅に送った帰りにカフェで2時間程集中して書類を。

最近は激戦区で入れないことがしばしば。注文する前に席を確保してくださいとなる。まあ朝8時前なら大丈夫でしょうと行ったらさすがにOK。
入口には長時間ご遠慮くださいの看板が。
長時間というだけではなく、最近は相当の強者がいるらしくお店も大変でしょうね。

1時間して建物の脇から強烈な日差しが。ブラインドが降ろされて、さらに1時間。満員になってきたので退散。

これだけ集中できると、あと昼まで午前中で終わるかなと甘すぎる考えで、そうはいきませんでした。

帰ってから家で娘と話し。
「やっぱり集中するにはいいよ。」
「うん。この間集中しようと思って行ったら、雰囲気よくて、音楽かかって、だんだん眠くなって居眠りしちゃった。」

なんじゃそりゃ!

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大須演芸場

演芸場の入場券収入よりも演芸場前に置かれた飲料の自販機の売上の方が高い・・?
一人になったお客がいたたまれなくなってトイレに逃げて扉の影から舞台を覗くと、芸人さんもこちらを覗いていた・・!?
演芸場の足立秀夫という席亭が芸人よりも面白い人だとか・・!!

というようなエピソードに惹かれて興味を持った大須演芸場。
それまで大須という地名すら知らなかったのですが。

大須観音の門前町として始まり、その後歓楽街となった大須商店街。
PCショップが軒を並べたり、最近はメイド喫茶ができたりと、東京で言えば浅草と秋葉原が一緒になったような感じでしょうか。
関心をもったら、結構テレビでも、商店街のお手本だとか、歴史の番組でも徳川宗春が吉宗の倹約の反対の政策で城下を賑わした舞台として紹介されたりしていました。

大須演芸場は、この地区で唯一現存している演芸場。何度も閉鎖の危機に直面しながら、故古今亭志ん朝さんが独演会を開いたり、鶴瓶さんがギャラ無しで出演したりと、支援の手が差し伸べられて奇跡の寄席とも呼ばれています。

近くまで来たので前を通ってみたのですが、この日は急用が入り、演芸場には入れずじまい。

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のぼう様

さて忍城(おしじょう)といえば、今話題の、のぼう様。

数年前に本がでてから読みかけて、何か他の本を読みだしてそのままになっていました。そのときに行田市の忍城というのを初めて知りましが、本丸などは現存していないものの、歴史的に有名な場所だったようです。

読むのが先か、観るのが先か。とりあえず再度読み始めました。

本来、昨年の上映予定でしたが、震災後の事、水攻めのシーンを配慮して延期となっていたのですね。

のぼう様こと成田長親は、晩年は尾張国にいたとありますが、その後の調査で、名古屋の大須赤門通りの興國山大光院が菩提寺であったことがほぼ特定された、と記事にあったのですが、それを読んだ時、丁度、大須にいたものですから、とりあえず行って来ました。

来年が成田長親没後400年になるとの事。先月に映画の主演者などと、成田家の末裔の参列のもと、法要が営まれたようです。

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うますぎる

以前、熊谷駅にて電車が何かの障害で止まってしまい、改札を出て、はてどうしようかと、売店の脇を通りかかると、うますぎるものが・・。

実は最近、家で話題になったお菓子。
昔からたまにテレビで流れていたのですが、なんとも印象深いCMですよね。
関西出身の奥さんは割合最近に知って面白がっていました。

家でもかなり美味しい物には十万石・・・と呼んだりすることもありましたが、サッカーチームのことでも使われていたんですね。
もともとの命名も初代店主と棟方志功との出会いからというのもようやく知りました。

ただあまり近所では見かけないので、おみやげに。

さてその御味は?
たしかに美味しい。皮がふわっとしてます。うまいです。
ではうますぎるのか?

その判断は、やはり忍城の姫様にしていただきましょう。

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特撮博物館3

今回の展示では、スタジオジブリ制作の短編映画「巨神兵東京に現る」も上映されていました。

巨神兵というとアニメの映画「風の谷のナウシカ」しか知らないので、生物というイメージでしたが、本来の漫画版ではストーリーが巨大で、巨神兵はあくまで人造物のようです。なので、ロボットみたいな構造でいいのですね。

この短編映画。ある日ついに大都会に現れて、街を焼き尽くす、というようなシーンが上映されていました。

しかしながら、これは世代にもよるのかもしれませんが、今となってはロボットが出てきて暴れても、何となくピンとこないのが正直なところ。

大自然の猛威、自分たちの作った装置のいわば暴走という現在の私たちが置かれている立場からすると、これらのほうが、より恐ろしく、より現実味をもってのしかかっています。

ただ、この短編映画の制作は、今回の展示のテーマそのままに、ミニチュアを使っての実写による撮影。もちろんそこに今回の企画展示の意味があるわけです。

ところで、小さい頃からCGがあたりまえの世代の若い人は、このような昔の特撮の世界に対してどのような感想をもっているのか、興味がありますね。

あまりに行列の展示はパスしました。

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特撮博物館2

というわけで、最大の関心ごとは少々はずれでしたが、他に目を引いたのは、ウルトラマンの目玉とカラータイマー。

電球が中に入っているのは子供でもわかっていたのですが、昔のこと。今のようにLEDもなければ、高性能のバッテリーもない。

そもそもウルトラマンの中には人が入っていて演技していることもわかっている前提で、目のところに電球なんか入れちゃって、中の人はどうやって見ているんだろうという疑問が当初ありました。でも時間はたっぷりある当時。雑誌などの写真を繰り返し見比べるうちに、両目のやや内側の下に穴が開けてある。そして口のところにも隙間が開いている。ここから見て、息しているんだと、その辺は当時で解決。

その目とカラータイマーも制作過程が今回、詳細に紹介されていました。

電球は当時の普通の豆電球。電池は主に脇あたりにしまいこまれていました。
手作りの型で、透明シートを加工して、そのまま豆電球が見えないように乱反射する加工を施して出来上がり。

カラータイマーは、普通の電球で、青と赤の2種類のカバーを用意し、撮影中に取り替えていただけで、これは想像していたよりも単純でした。

ハイスピードカメラなど、撮影機材を別にすれば、よほど特殊なものを使用していたのではなく、当時に入手可能なものを駆使して、様々な作品を作り上げていったという印象です。そして、中心の人たちは、美術系の大学などで専門に学ばれたそうそうたるメンバー。

そう確かにウルトラマンは美しかった。

画像は先のウルトラマンアート展のもの。

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