さいたま市の川合運輸株式会社です

地域Category Archives

自転車

家族の自転車が久しぶりに帰って来ました。
どこへ行っていたのか、本人は何も言わないのであえて聞かないことにして・・。

突然いなくなってしまった自転車置き場から、何ヶ月ぶりに同じ自転車置き場へちゃんと自分で・・なわけないんですが。

家族は鍵をかけ忘れた事で、繰り返しこっぴどく注意されています。なので使用している人だけ責められないのですが、忘れた頃に戻ってきたのは何故でしょう。考えられるは今のところ2つくらい。

自転車が必要なくなったので、元の場所に返した。

両輪ともパンクしたので、乗れなくなったから元の場所に返した。

でも何故元の場所へ?
もしかしたら、もうひとつ、修理してくれということかな。(こら!)

無断使用は良くないことなのでやめましょうね。

川合運輸株式会社HP

恵方

もともと恵方巻きを食べる習慣などは少なくとも関東ではなかったはずですが、最近はスーパーなどでも大いに宣伝してます。

たまたま私は関西つながりで、その習慣をある頃から知ってましたが、関東ではコンビニのCMで「今年の恵方は~」とやっているのが最初のような。聞いたところによれば、やはりこれもバレンタインと同じように、販売促進によるものだそうです。

恵方巻きというのも商品名で、本来は呼び方も色々のようです。

そもそも太巻き寿司も、関西のほうが本場で、ずいぶんと具が贅沢な味に驚いた記憶があります。しかも「かぶりつく」食べ方がほんとらしいのですが。

そんなわけで今日も地元の駅併設の店舗も行列だったとか。

ところで恵方というと、以前にその年の恵方に向かって向きを変える唯一の神社が京都にあると聞き、近くを通った時にその二条城近くの神泉苑恵方社(通称えほうさん)というところに見に行ったことがあります。
年に一度とは言ってもいちいち向きを変えるのはさぞ大変だろうなと思いながら、見て少々驚いてしまいました。

驚いたというか笑っちゃったのですが、そんなこと言ったら怒られますね。
機会があったらどうぞ。

川合運輸株式会社HP

落ちの沢

会津藩は、南部領の一部、陸奥に移封され、名前も斗南藩となります。藩存続に感涙し、将来に希望と託したものの、当時はまだ半年間雪に覆われた痩地、火山灰地であり、とても一同を養う土地ではないことを誰一人知りませんでした。

「終日いろりに火を絶やすことなきも、小屋を暖むること能わず、背を暖むれば腹冷えて痛み、腹暖むれば背凍りつくがごとし。・・」「挙藩流罪という史上かつてなき極刑にあらざるか。」※

本を読み終えて後、あまりの強烈な印象に、当時の柴五郎少年が餓死と戦った、落ちの沢という地。一体どんなところだったのか。何か機会があれば、それこそ厳寒の季節にと思っていたのです。

大湊線の終点まで行き、折り返しの時間を利用して、駅でタクシーの運転手さんに事情を話したところ、すぐ通じました。

特に何もないがこの路地を真っすぐ進み、鳥居を右に曲がったあたりがそうで、札がでていると、雑木林の入口で教えられ、ずぼずぼ雪に埋まりながらその場所へ行きました。


その時間は少々陽もさして、雑木林に雪もキラキラ光り、今となっては当時を偲ぶのは無理なほど綺麗な光景でした。

帰り道、運転手さんが教えてくれたのですが、現在までもずっと定期的に旧藩士の供養のためのお供えを続けている老人がいらっしゃたとの話しです。ところが、つい先日お亡くなりになったところだとの事でした。これからはどうなるかなあとも話されていました。

列車の時間までまだ少しあるからと、海岸にある、上陸の地の碑なども案内していただけました。そして駅までと再度車に乗り込もうとした時にふと見上げた山の頂上。なんだか異質な建物が。

これが最近建てられたばかりの防衛のためのレーダー施設なのだそうです。
運転手さんも、山容が変わっちゃったね、とぽつり。

時代は移り変わりながらも、波は絶え間なくやってくるものなのだと、なおさら実感したのです。

※石光真人編著「ある明治人の記録(会津人柴五郎の遺書)」中公新書 より

川合運輸株式会社HP

戊辰戦争

「ある明治人の記録(会津人柴五郎の遺書)」

おどろくべき内容。本当に衝撃を受けました。

日本の近年でありながら、歴史とは勝者の歴史?と考えされられます。
このあたりの歴史は数々のドラマがつくられ、現在なおテレビでもとりあげられていますが、まだまだ知られていない事実があるということですね。

単に「戊辰戦争」の四文字で通りすぎてしまうわけにはいかないのです。

少年期の柴五郎の目で見た当時の状況、心情が正直に綴られた第一部「柴五郎の遺書」は100頁少しの内容。これは実際に読んで頂くしか伝えようがありません。

他にも「石光真清の手記」(四部作 中公文庫)が挙げられていましたが、これも明治期。櫻井よしこ氏によれば、日本人の誇りと勇気を取り戻せるに違いない本を、と考えて選んでみたら、すべて明治の人の記録だったとの事。

石光真清は明治、大正期を、シベリアと満州での諜報活動に身を投じた人です。こちらも大陸での壮大な物語のような詳細な手記。

それまで「坂の上の雲」などを読んだりしても、どうも日露戦争時の日本と、その後の昭和期とで、断絶感とでも言うようなものを感じていたのです。ところが、今回の本を自分なりにその間の一部が埋められたように思います。

明治維新当時の日本に生まれた人の特殊な環境が、本来植民地化されてしかるべきの運命を奇跡的に変え、そして国としての組織が本格的に出来上がった頃に歪がすでに生じていたのではないでしょうか。

川合運輸株式会社HP

柴五郎

ちょうど4年ほど前になります。経済的に激動の年となった2008年の暮れに経済雑誌のコラムで櫻井よしこ氏が、いまこそ政治家、お役人それに多くの読者にお手本として薦めたいと紹介していた本の一冊を正月に読み、相当な衝撃を受けました。

石光真人編著「ある明治人の記録(会津人柴五郎の遺書)」中公新書。

柴五郎は会津の上級武士の五男として生まれました。

会津藩主は大政奉還の後、祖宗以来の労苦を慰労され、皇国の維持をとの詔勅を賜りながら、その前日に会津討伐の密勅と錦旗が薩長にくだされます。

藩主が戦火を避けるために謹慎し、強硬論を抑えるものの会津討伐が迫るなか、城下の様子は一変します。

家の中も皆が寡黙になり、大人は小声で何事かを相談することが多くなりました。そんなある日に、10歳の少年だった五郎だけが、散策を名目に城下から郊外の山荘に連れて行かれ、その翌日に城下では討伐軍の侵入による騒乱がはじまりました。

騒ぎを聞き、山荘から燃えさかる城下に向かったものの、あまりの火の勢いにこれ以上近づけないことを悟った少年が、「口惜しさのあまり母上、母上と叫びながら、地をたたき、草をむしりて号泣す」。

翌日、山荘を訪れた親類の老人から、敵の城下侵入に際し、退去を拒否した祖母、母、姉妹が自刃し、頼まれて介錯し、家に火を放ったと事の次第を教えられます。
「幼き妹までがいさぎよく自刃して果てたるぞ」と聞き、眩暈してそのまま数時間気を失います。

それから2ヶ月の間、毎晩、一家団欒の夢を見、目が覚めるごとに愕然とする日々を送りました。

その後、城内に篭っていた父・兄とともに江戸へ俘虜として収容された後、移封された地が、冬には厳寒の作物もろくに育たない陸奥で悲惨なる飢餓を味わされたのです。

柴五郎はその後、下僕として働きながらも軍に入り、北清事変(義和団の乱)で活躍し、藩閥外ながら陸軍大将、軍事参議官にまでなりました。そして敗戦の年の12月、少年の時に自ら拾い集めた母・祖母・姉妹の遺骨とともに永眠されました。

この本は、柴五郎が晩年、葬り去られた歴史を、自らの菩提寺に納め、肉親を弔いながら自身も眠りにつく目的で筆記した書を、たまたま編者に文字の添削を依頼したことから世に出たのです。

川合運輸株式会社HP

冬の下北半島

こんなに寒いのに、余計に・・。
これは現在ではなく、一昨年の1月初め。
休み明けに宮城県に所用があるため、週末から青森方面に行った時の画像です。前日から大雪でした。

下北半島の終着駅、大湊。到着してからしばらくは雲が晴れて穏やかな天気になったのです。

帰路、大湊線の車内から観た津軽海峡です。
割合天気がよさそうに見えますが、実は相当な強風なのです。これだけ海岸近くですから、列車は最徐行で通過してます。この列車以降は運休になりました。

途中駅での対向列車も遅れて、いよいよ先が見えなくなりました。
どうも案内が、後手後手で上り下りのどちらに向かうべきか、判断がつかず、二人の若い女性の駅員さんに、現状の見込みでいいですから、どちら方面に行くかの参考にしたいからと、情報を頼みました。二人でしばらく相談しながら、こちらに答えようとしたところで、後ろから突然年配の駅員さんが、大声で「全くわかりません!」。

どうも国鉄時代のままの人もまだいらっしゃるようです。

というわけで、乗り換えそこねてしまった野辺地駅では長時間足止め。ところが、現地の人は待合室のあまり効かないストーブを前にして、寒い中でも黙って皆さん静かに待っているのです。やはり東北の人はおとなしくて我慢強いのですね。

ところで、わざわざこんな季節に行ったのには訳があります。

川合運輸株式会社HP

先生

このところ体罰と生徒さんの自殺に関して大きく報道がされていましたが、今度は早期退職に関しての話題と、学校の先生についての話題が多いですね。

戦後に大きく教育をとりまく環境が変わり、そろそろまた大きく舵を切らなければならないのかも知れません。

個人的には「道徳」教育がもっと真剣に扱われなければならないのではないかとは思っていますが。

ただ、いろいろ学校の先生方に接することも多くなっていますが、ベテランの先生はもちろん若い先生も皆さんとても意欲的で、忙しい中でも生徒さんともとても親しげに取り組んでいる、いい先生ばかりです。

いろいろ大変なことも多いとは思いますが、大事な任務。頑張ってください。

川合運輸株式会社HP

駅弁大会

何故にこれほどにまで駅弁大会というものが、有名になったのかと不思議な気がします。
そもそも少なくとも30数年以上まえから、ある超老舗駅弁は当時すでに殆ど駅売りはせず(駅前の売店では扱っていたらしいですが)、ほとんどの売上をこの駅弁大会であげていたと鉄道関係の雑誌で読んだことがあります。

さて、鉄道好きな私が鉄道に乗って駅弁を買ったのはいつか。そういえば2年前くらいにありました。その前は・・7,8年前位ですかね。売店で数も少なく、改札内側から私が「ひとつください。」と同時に改札外から別の人が「4つください」。売店の人は先に私に一つ渡して、改札外の人には「すみません。あと一つしか残ってないです。」

でも現在の普通列車では食べにくいですね。ホームのベンチでも今ではどうも。そもそもホームの駅売りもほとんどなく、どちらかというと、最近になって観光も含めて力を入れだしたところが目立つ位では。

そのようなわけで、伝統ある駅弁も本来の姿としてはだいぶ様変わりしているのですが、この駅弁大会は、テレビでもよく取り上げていて大人気。伝統のものだけでなく新しい味に挑戦したりして、大いに熱が入っているのです。

私の場合は鉄道旅行の郷愁を感じるのは、その前に「食堂車」なのですが、比べ物にならないほどに多くの人にとって「駅弁」というネームが郷愁を呼び起こしているのではないでしょうか。それが人気の源泉かも知れないですね。

saido-iseebibentou201301202405

千葉県 いすみ鉄道・大原駅の伊勢えび弁当。意外にも伊勢海老の水揚げ日本一だそうです。

川合運輸株式会社HP

白味噌

今月はスケジュールの関係で、今日から仕事が始まっています。昨晩は年末年始をまたいでの長距離運行は、幸い帰省の渋滞や天候の影響はほとんどなく無事帰着。
今日からは一部運行業務がすでに始まり、この業種ならではです。

それでもこの時期は太平洋側だけに、まだ交通事情はよいほうです。

正月に白味噌のお雑煮が食べるようになって久しいです。

その存在自体はある頃までは全く知らず、雑煮といえば澄し汁とおもっていたのが、関西では白味噌に丸餅と聞いて、どんな味だろうと興味津々でしたが、今ではこちらのほうが楽しみです。

川合運輸株式会社HP

絵手紙の会

先日亡くなった叔母の葬儀で弔辞をいただいた方のお一人は、地元で、あるボランティア活動をされている人でした。

もともとは町の予算で、高齢の人に対して電話での対話を行なってきたそうなのですが、あるときに、予算の関係なのか、突然打ち切りになってしまったのだとか。そのため、60歳以上の有志が集まって、別の形で存続していくために手弁当で、絵手紙の会を設立し、電話の代わりに定期的に絵手紙を送る活動をすることになり、以来、叔母も長年その活動に携わっていたということでした。

叔母はだいぶ以前から、俳句をやっていたということは知っていました。何かのはがきを頂いても、一句そえられていたりしてましたし、句集も出していました。しかし、そのようなボランティア活動をしていた事は一度も聞いていませんでした。

その葬儀で出かけた先は、昨日触れた、福祉施設の直ぐ側。

なかなか一般的には人の目に触れないところで、そのように熱心に活動をする人がいて、そして助けられている人もいるのだとつくづく感じた次第です。

川合運輸株式会社HP