さいたま市の川合運輸株式会社です

4月 2013Monthly Archives

週40時間制

三國連太郎さんの訃報を聞いて、いくつかの作品を思い出しながら、それとは別に思い出したことがあります。

20年も前。あるとき電車に乗ると、中吊りの広告に、三國連太郎さんが出ていました。

やさしくにっこり笑って、脇の文字が「週40時間制を実現しましょう」というもの。

もちろん当時から三國さんは好きな俳優さんでしたが、その文字を見た時に、別に本来三國さんが言っているわけではないのは承知のうえで、「この業界の現状をわかって言ってるんですか?」と心のなかで呟きました。

まだ当時はとても実現するにも雲をつかむような状態でした。

ところが、どうもその頃を境に状況がすこしずつ変わって行きました。

結局、世の中が40時間制になっていくに従い、さまざまな分野の取引先が土曜日は稼働しなくなって行きました。

お客さんの工場が稼働していても、納品先が休みであれば、配達もなくなっていきます。
そのようなわけで、それまで平日とほとんど変わらずに稼働していた土曜日が、極端に動きが少なくなって行きました。

そして、年末年始や連休など、おもに工場のあるお客さんが長い休暇を取るようになったので、完全週休とは行きませんが、土曜日や連休中などを交替して出勤するように調整すれば、年間変形労働時間制の採用で、週40時間をクリアするようになったのです。

その後、しばらくしてテレビで三國さんを見た時に「失礼しました」とひとりごとでお詫びをしました。

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便利な4トン車

中途半端になってしまった4トン車。

と、ネタにされて少々かわいそうですね。本来はとても便利でもちろん今でも大活躍です。

では再度画像を。

この車両はウイング車。

片側をオープンしますと。

こうなります。

というわけで、このタイプの車両は、屋外でのイベントなどで特設ステージに早変わり。
こういう使い方もあるのです。4トン車の話題はこうしてしっかりと宣伝でまとめです。
皆さんよろしくお願いします。

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4トン車なのに4トン積めない?

中途半ばな4トン車としましたが、本来は重宝な4トン車でした。

普通免許で運転できる最大のトラック。

ところでだいぶ昔の写真で見た4トン車とは、今よく見るタイプと比べると比べ物にならないくらいこぶりな感じ。今の2トンロング車とさほど変わらないサイズでした。

当時はあまり荷台も平(ひら)ボティーとよばれる屋根なしが殆どで、一応後ろも見えましたからね。

その後、だんだんアルミを使った箱型のバンや、ウィング車が主流になっていきましたが、ここで問題なのが車種区分の制限。

4トン車というのは、あくまでも通称であって、車の重量と積載重量を合わせた「車両総重量が8トン未満(普通免許で運転できる最大のサイズ)」という制限があるのです。

荷台部分が長くなって、しかも屋根付きの箱型の荷台が乗っかるようになると、車体重量がどんどん増えていきますから、「総重量-車体重量=最大積載量」の最後の積載量はどんどん差し引かれてしまい、現状の4トン車は軒並み3トン程度になっているのです。

だから4トン車なのに4トン積めないという、業界内では「当たり前」の話しなのですが、一般の人にしてみると「何で??」という事になっています。

実際にお客様から「4トン車頼んでるのに、4トンは積めないとはどういうわけだ!」とお叱りをうけ、理由を説明してようやく納得していただいたりということは結構ありました。

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車種区分

免許制度が変わってから6年経ちます。いまこの話題をだすのも、実際に若い人に「私が免許ととった年から改正になって・・」と具体的に話を聞くようになったからです。

制度が導入された当時は、「先々いろいろ影響が・・」という感じ。

実はこの免許制度改正はだいぶ前から検討されて、将来はこうなるという話は聞いていました。「あらたに中型車の区分を設ける」というのがメインだったので、確かに現在の4トン車のサイズを考えると、まあ仕方ないな、というのが正直なところでした。

ただ、昨日の触れたとおり、2トン車の多くまでが中型車に区分されてしまうというのは、改正後の詳細の解説を知ってから。まさかこのクラスまでが対象になるとは夢にも思っていなかったのです。

この点が改正後も、実は業界内でも当初よく理解されずにいたのです。

実際、区分を決める過程で、影響が相当に広くなる事は十分に検討されていたのかなという気もします。いずれにしても細部の周知のなさは非常に問題があります。最近の色々な改正はこの件にかぎらず、ちょっと変ですね。

運送業界側では、一部の見直しを相当強硬に申し入れているようですが、決めた方も安全の観点から推し進めたのですから、なかなか簡単にはいかないかもしれません。

そのようなわけで、今後は普通免許で運転可能な2トン車、として現在よりも少し位置づけが変わっていくと思いますし、とても中途半端になってしまっている4トン車も変化していくと思われます。

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免許制度とトラック

以前であれば、はじめて免許をとったらすぐにでも運転できた(制度上)トラックがこの大きさ。

もちろん大型車よりはすべてのサイズが小さいですが、運転台にのれば2トン車とくらべて格段に大きいことが実感出来ます。

逆に言うと、普通免許で運転可能であることから、サイズ的に重宝になり、昔からだんだんサイズが大きくなってきたのです。

この下のサイズが2トンロング車と呼ばれるタイプ。引越用途でレンタカーを借りる際によく使われるタイプです。住宅地を走る、宅配便の車両もサイズ的にはだいたい同じです。

この位であれば、普段乗用車を運転している人ならば、運転台が前に出ていることからくる曲がり角でのハンドル操作や、死角が多いことに注意したり、後ろの荷台部分の屋根高さの問題に十分注意すれば、まだ大丈夫でしょう。

ところが、このタイプが、現在の免許制度では、中型免許が必要になるのです。

というわけで、小さめの2トン車というのがこのタイプ。弊社でもこのタイプは用途を限って使用しています。運送会社としての2トントラックとしてはやや特殊です。

例えば、18歳の人が普通免許を取得して、同時に運送会社に就職した場合、2年間は、受験資格である、「20歳以上」・「(普通免許)取得後2年経過」のために、このクラスの車両しか運転できないことになったのです。そしてそれからの取得になるわけですから、結構ハードルが高くなってしまいました。

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免許制度

昨日に、免許制度改正後に取得した人の話題が出ました。

平成19年6月2日以降に免許を取得した人は、それまでよりも普通免許で運転できる車両が制限されるようになったわけです。

具体的には、特にトラックを運転しようと思わない人はおそらく、区分の違いはご存じないでしょう。

それでは、最近免許を取得した人が、普通免許でどんな車両までが運転可能かという事だけ、まとめます。

最大積載量が以前は「5トン未満」まで運転できたものが、制限されて「3トン未満」になりました。

これだけだと、なるほど、以前ならば4トン車まで運転できたのが、3トン車までしか運転できないんだと思えますが、実は違うのです。

「最大積載量」の制限のほか、もうひとつ「車両総重量」というものがあります。これは簡単にいえば、最大積載量の荷物を積んだ時の、荷物と車本体の重さを足した重量。

この車両総重量が以前は「8トン未満」だったのが、今回の改正で「5トン未満」になってしまいました。

これにより、実質的には3トン車どころか、2トン車の多くも運転できない事になってしまったわけです。

弊社の2トンロング車も、車両総重量は5トンをわずかに超えているので駄目。よく引越で使うレンタカーも「ロング」となっているものはほぼ駄目でしょう。

つまり小さめの2トン車位しか運転できなくなってしまったのです。

ご自身で運転しようと考えていた人は不便でしょうね。

それでは、運送会社にとってはいいのでは、と思われるかもしれませんが、若い人の人材不足になやむ運送業界にとっても、大変痛い法改正で、この件は大問題になっているのです。

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コンサート機材の積込

楽器など、演奏会の機材の運搬を、そのときの運搬する量によって、メンバーの皆さん自身で運ぶ場合と、私どものような業者にご依頼頂く場合とで使い分けていらっしゃるお客様は結構いらっしゃいます。

コンクールの時でも、レンタカーのトラックをよく見かけますね。2トン車ばかりでなく時には4トン車の姿も。OB団体の方かなと思います。

先日のお客様は、ご自身で運転していたのだけれども、量が増えて4トン車になると、丁度、中型免許を取得しないと運転できない年代との事で、始めてご依頼いただいたケースがありました。

さて、本日のお客様はビッグジャズコンサートを開催のためにご依頼いただいた大学のお客様。楽器以外の機材が多いためにトラックが必要になったそうです。

管楽器や打楽器はもちろんですが、コントラバスあり、そして音響用の重量のあるアンプあり、舞台用の台ありと、さまざまな機材が効率よく限られたスペースに収まりました。
特に普段ご自身で運ばれているお客様は、いたって荷台での積込がとても手際がよくお見事です。

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職業?

子供のなりたい職業で、政治家が141位だと話題。それをどう思いますかとの国会のやり取りがありました。

なんでも140位は刺青師なんだと。

でも政治家を「職業」として見るものなのかどうか、という感じもします。本来そういう観点からの仕事でもないような。

おそらく平和な世の中で成り立ってきた部分があるのではないでしょうか。

以前に会社でも年配の先輩が、「最近は政治家ではなくみんな政治屋になっているからなあ」といっていたことを思い出しました。

なるほど。既に今の子供たちは、本来の目線で見ているでしょう。だから、その中で「民のため」という人たちがたくさん出てくると期待しています。

あれよあれよという間に、これだけの国難に囲まれてしまった現状。その中でも生命をかけてる人たちもいると思われますので、これからのことは大丈夫だと。

田中正造の話しが出たので、そんな事を思いました。

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足尾銅山

足尾銅山といえば銅山の鉱毒事件の事を抜きには語れませんね。

もともとは江戸期から採掘されていた鉱山でしたが、明治期に近代化と新しい鉱脈の発見によって飛躍的に産出量が上がり、それにともないガスによる汚染で付近ははげ山となり、排水に含まれた鉱毒が下流に流れ、農業に甚大な被害をもたらしたのです。

私が訪れた頃は、閉山していたものの、まだ精錬所が操業していた時代。貨車がまだ動いていました。そして確かに周囲は黄土色の世界。

森林を復元するための植林事業は何と100年以上も続けられているのです。それでも荒涼とした場所はまだまだあり、2011年の震災の影響と思われる土砂崩れから、河川の汚染がいまだに観測されるというような状況なのです。

一度失った自然をとりもどすのがいかに大変か、思い知らされますね。

ところで、この鉱毒事件による渡良瀬川流域の住民を助けるために立ち上がったのが田中正造。現在の佐野市出身の政治家です。

実は、この足尾線に乗っかってのんきに車窓を眺めていた時分はもちろんのこと、割合最近まで実は田中正造の事は知らなかったのです。

私の子供が小学校の授業で国語の教科書の音読が宿題のような日課になって、家で繰り返し毎日聞かされた文章が、この足尾鉱毒事件と田中正造の活躍の話。

何故か子供は、この文章がいたく気に入ったようで、普段とは違ってやけにいきいきと音読していたので不思議に思っていました。話が佳境に入り、明治天皇への直訴未遂のあたりまでくると殆ど講談でも聞いているような感じでした。

田中正造
原典 ”幕末・明治・大正 回顧八十年史” 東洋文化協會

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わたらせ街道

先日、群馬県の桐生近くに行く機会がありました。
県境を超えて近づく山々。埼玉の西部の山とは違って、小さい山でも切り立った山の形がこの地方ならでは。

仕事ですからもちろんとんぼ返りなのですが、後ろ髪惹かれる思いだったのです。

ここから国道122号線を真っすぐ行けば日光に抜けますが、それよりも手前の足尾、そしてそこに至る過程が大事。

以前の国鉄時代の足尾線。今はわたらせ渓谷鉄道になっています。銅山からの輸送を目的に敷設された路線。

実は現在は貨物輸送は全くなくなっているいるものの、もともとは鉱山輸送が目的だった路線は全国にたくさんあります。そのため、結構荒々しい風景の中を走ったりするのが余計にローカル線に乗る魅力でもあるのですが。その分自然の中を走るだけあって近年は土砂崩れの被害が出たりすることが問題になっています。

この足尾線。私は高校生の時に初めて乗ったきり。確か6月頃。緑がまぶしい中を、渡良瀬川沿いをゆっくり進む車両からの眺めは今でも鮮烈に覚えています。

終点は間藤という駅。当時、私はひとつ手前の足尾駅で降りたので1、3キロは未乗車区間。後ろ髪というのは、そういうことです。

ところで、今回行った先は「みどり市」。今日は私は会社で間違えて「さくら市」などと表示して間違いを指摘されて訂正した次第。

さくら市は栃木県でした。

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