さいたま市の川合運輸株式会社です

川合 修Author Archives

About 川合 修

さいたま市・川合運輸株式会社の川合修です。昭和10年創業の運送会社を受け継いではやそろそろ30年近くになります。企業のお客様だけでなく個人・団体のお客様からのご依頼が多いのも当社の特徴です。わかりやすく丁寧にご説明する一助になればと思います。

足尾銅山

足尾銅山といえば銅山の鉱毒事件の事を抜きには語れませんね。

もともとは江戸期から採掘されていた鉱山でしたが、明治期に近代化と新しい鉱脈の発見によって飛躍的に産出量が上がり、それにともないガスによる汚染で付近ははげ山となり、排水に含まれた鉱毒が下流に流れ、農業に甚大な被害をもたらしたのです。

私が訪れた頃は、閉山していたものの、まだ精錬所が操業していた時代。貨車がまだ動いていました。そして確かに周囲は黄土色の世界。

森林を復元するための植林事業は何と100年以上も続けられているのです。それでも荒涼とした場所はまだまだあり、2011年の震災の影響と思われる土砂崩れから、河川の汚染がいまだに観測されるというような状況なのです。

一度失った自然をとりもどすのがいかに大変か、思い知らされますね。

ところで、この鉱毒事件による渡良瀬川流域の住民を助けるために立ち上がったのが田中正造。現在の佐野市出身の政治家です。

実は、この足尾線に乗っかってのんきに車窓を眺めていた時分はもちろんのこと、割合最近まで実は田中正造の事は知らなかったのです。

私の子供が小学校の授業で国語の教科書の音読が宿題のような日課になって、家で繰り返し毎日聞かされた文章が、この足尾鉱毒事件と田中正造の活躍の話。

何故か子供は、この文章がいたく気に入ったようで、普段とは違ってやけにいきいきと音読していたので不思議に思っていました。話が佳境に入り、明治天皇への直訴未遂のあたりまでくると殆ど講談でも聞いているような感じでした。

田中正造
原典 ”幕末・明治・大正 回顧八十年史” 東洋文化協會

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わたらせ街道

先日、群馬県の桐生近くに行く機会がありました。
県境を超えて近づく山々。埼玉の西部の山とは違って、小さい山でも切り立った山の形がこの地方ならでは。

仕事ですからもちろんとんぼ返りなのですが、後ろ髪惹かれる思いだったのです。

ここから国道122号線を真っすぐ行けば日光に抜けますが、それよりも手前の足尾、そしてそこに至る過程が大事。

以前の国鉄時代の足尾線。今はわたらせ渓谷鉄道になっています。銅山からの輸送を目的に敷設された路線。

実は現在は貨物輸送は全くなくなっているいるものの、もともとは鉱山輸送が目的だった路線は全国にたくさんあります。そのため、結構荒々しい風景の中を走ったりするのが余計にローカル線に乗る魅力でもあるのですが。その分自然の中を走るだけあって近年は土砂崩れの被害が出たりすることが問題になっています。

この足尾線。私は高校生の時に初めて乗ったきり。確か6月頃。緑がまぶしい中を、渡良瀬川沿いをゆっくり進む車両からの眺めは今でも鮮烈に覚えています。

終点は間藤という駅。当時、私はひとつ手前の足尾駅で降りたので1、3キロは未乗車区間。後ろ髪というのは、そういうことです。

ところで、今回行った先は「みどり市」。今日は私は会社で間違えて「さくら市」などと表示して間違いを指摘されて訂正した次第。

さくら市は栃木県でした。

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時代の流れ

私がまだ学生時代、手伝いで行った先で、不慣れな人に対する態度が強烈で驚いた記憶があります。でもその後、いろいろな乗務員さんから、そのくらいは当たり前で、しょっちゅうだということを知りました。

ところが、そんななかでも、多くの社員さんから共通して、とても気分よく納品作業ができる会社があることを知りました。納品時に運転手に対する対応がとても丁寧だというのです。

もちろん誰でも知っている名前の会社。ある業種のトップメーカーです。創業者の精神がすみずみまで行き渡っているということもあるのかも知れません。

その話を聞いてしばらくして、そのメーカーの社員である知人と会ったときに、その話題になりました。知人は結構自信満々に、「うちは業者さんを大事にしているもん」と言いました。なるほど、さすがだと思ったものです。

さて、そんな会話があった日から二十数年たち、そのメーカーというより、その業種自体が大変な困難な時期に直面しています。

先日、乗務員さんから、初めて行ったところで勝手がわからず、随分怒られましたという話を聞きました。そこはまさにそのメーカーの名前を冠しています。もちろん実際に現場で働いている人は、業務請負している業者さんの社員だったりするのでしょう。

やはり時代は変わっていますね。

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第5番を2曲 続

コンクールのテープを聞いて、耳に残ったのがアナウンスの「交響曲第5番」という声。それで、そのレコードが家にあるのかと親に聞けば、当然「これじゃないの?」と出てくるのはベートーヴェン。

溝から判断して第4楽章のところに針を落とすと、聞こえてきたのは、とても明るい調子の曲。「違う、これじゃない」というと、「5番と言っても誰の?」という具合の会話。
高らかな勝利の楽章のベートーヴェンと、謎を含んだ少々いびつな行進曲風のショスタコーヴィチの4楽章の違いをこうして味わいました。

それで友人から借りて初めて聴いたレコードがバーンスタイン・ニューヨークフィル。曲は同じはもちろんですが、ここで4楽章のテンポがまるで違うのに驚いてしまいました。
その後、名盤はムラヴィンスキーなんだ、でも今は廃盤で売っていない、とかでビクターへ何度も問合せたりしているうちに再発売が決まったり。

ところで謎の部分は、まだ時代が近すぎて証言できない人もいるのかもしれません。いつかアシュケナージ氏の指揮の放送でも、ゲストが「当時はいろいろあったんです。」と言葉を飲み込んでいました。

またいずれ新たな話がでてくるのでしょうね。

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第5番を2曲 後半

私が初めてこの曲を聴いた年に、他界したショスタコーヴィチ。その後、曲の解釈は大きく変わり、また新たに謎を残したままになりました。

当初は共産党機関紙に批判された後、交響曲第5番を書き上げ、喝采を浴びる、苦悩から勝利への図式。ところが、実際にはそうではなく、強制された歓喜を表した曲との理解がすすみ、実際、「騙されないぞ」とのメッセージなどを込めた曲であると・・。

第2楽章は「皮肉な微笑」との表現は、一番最後でうなずけます。そして第3楽章はレクイエムとも言われています。

問題は第4楽章。

今回、この曲を聴きながら、前半のベートーヴェンを思い、民衆の闘争・勝利の時代から、100年過ぎて後、国家との間で身の危険の恐怖のなか、交響曲を作る作曲家・・。この世は一体・・という複雑な心境になりました。

それでも第4楽章の終盤、指揮によって全くテンポが異なる部分。今回はどちらかというと、やや早めにもとれるテンポ。昨日は私には、最後は勝利であるという明るいメッセージとして受け取れたのですが、尾高氏の解釈はどうだったのでしょう。

とても魅力的な選曲・指揮・演奏で、このうえない時を過ごせました。

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第5番を2曲

新年度の東京フィルの定期演奏会。今日のオーチャードでの指揮は尾高忠明氏。

最初に新年度のプログラムを見た時に、「おっ」と思いました。

4月はベートーヴェンの祭典となっていますが、この日の演目はベートーヴェンの第五とショスタコーヴィチの第五。

片方ずつなら普通ですが、2曲が並んでいることに反応してしまいます。そもそも演奏会の冒頭がベートーヴェンの運命からとは気合が入りますね。

先月の演奏会のパンフレットに、今回のベートーヴェンの第3楽章のリピートの有無に関して「当日のお楽しみ」となっていました。楽章単体での形式的なバランスでは有り、曲全体でのバランスをとれば無し、のどちらか。

答えは「リピート無し」でした。

尾高氏はまた、あえてピリオド奏法はとらず、演奏会場の拡がりとオーケストラの発展という過程を大事にしたいとの立場だそうです。

70名を超える編成での演奏は、現在の楽器での最強の響きでホール全体を鳴らして、完全に聴衆を圧倒。すごい日になりました。

でもまだ前半だった。ではここで約1440分の休憩(の予定)。

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ショスタコーヴィチの5番

ショスタコーヴィチの第五番を初めて聴いたのは、オーケストラではなく、中学時代に同じ地区の他校のコンクールの自由曲として。もちろん第4楽章。

コンクールの後で地区の中学校の演奏が収録されたテープです。

最初は冒頭の演奏の後に続くメロディが奇妙で、テンポも少しずつ早くなっていたりして変な曲に感じられましたが、そのうちにはまってしまいました。

その後、友人から借りたレコードで初めてこの曲のオーケストラの演奏を聞いて、弦の迫力に驚きました。

この当時は、この曲や、ドボルザークの新世界、展覧会の絵などもよく吹奏楽コンクールの自由曲として選曲されていて、いずれの曲も先輩がすでに演奏していました。

豊島区の中学校の全国大会の演奏をレコードで聴いた時にはさすがに唸ってしまいましたね。

課題曲と合わせて12分の演奏時間にするには必ずカットが必要で、その部分が演奏に寄って違う所になるのも面白かったです。

最初は4楽章ばかり聴いていたのが、第1楽章から聴くようになって言わば「起承転結」とでもいうような状態で、完全にはまったわけです。

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浮かんでくる曲

何かの拍子にある音楽が浮かんでくることがありますね。
テレビのCMで一瞬流れる音楽が好きな曲だったりすると、そこからしばらく頭の中で音がなっていたり。

先日、昔に演奏したポンセ・デ・レオンの事を書いたので、とかくこの曲も繰り返し出てきてしまいます。

私にとっては、そのような時は物事はかどるのでいい状態なのです。

ただ、たまに困ることがあります。

それは深夜遅めに寝るときなどに、ある交響曲を思い出してしまうこと。

この曲が頭の中で流れてしまうと、なかなか寝付けなくなってしまうのです。
さんざん昔に繰り返し聞いていた曲。その先、その先に進んでいってしまって、かなり深刻な曲。

それがショスタコーヴィッチの交響曲第5番。

名前を冠する交響曲は多いのですが、この曲に関しては、以前はかならず「革命」と呼ばれたものですが、だんだん、作曲者の意図などが知られるようになってきてからは、どうも様子が違ってきました。

またその演奏を聴く機会が近づいてきたので、また浮かんでくるかなと思っていましたが、このところ寝る頃にはそうした余裕のない状況なので多分大丈夫でしょう。

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三陸鉄道南リアス線

昨日は不通になっていた三陸鉄道の南リアス線の一部、盛~吉浜間の運転が再開されました。この区間は丁度、三陸鉄道に転換される以前に国鉄時代に開業していた部分の線路です。

ニュースでは運転士さんが発車直前に感激のあまり、両手で目を押さえてました。

車両が新しくなり、その試運転の最中も、沿線から手を振る人が見えて感激したと運転を担当した人がインタビューで答えていました。

三陸鉄道といっても途中にJRの路線があるため、北リアス線と南リアス線にわかれています。まだ両方共、コンクリートの橋脚が破壊された部分を中心に不通区間が残っていますが、丁度これから1年後には開通する見込みです。

JR路線の部分はもともと戦前までに、盛岡から宮古とそこから海岸沿いに釜石まで、鍵の字状に内陸から路線が開通していた部分なのです。この部分はまだ復旧の目処がたっていません。

この駅も運行が再開された区間です。震災前の画像。

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メッシュパレット

ある展示館関係の輸送で使用した台車。

輸送中はもちろんですが、積卸しや展示場所までの移動中での方法で、カゴ台車と呼ぶ縦長の台車を使用することになっていましたが、検討の途中で、万が一、その台車が転倒した場合の想定もという指摘に再度方法を検討。

普通の台車ではなく、やはりまわりを囲った形の台車で、タテ・ヨコと高さも丁度良い物をと探した結果、倉庫で使用するメッシュパレットに、キャスターを取り付けたものを使用することにしました。

メッシュパレットのままですと、金属部分が気になるため、プラダンで保護して無事今回の作業は進みました。

このメッシュパレット。どちらかというと製造現場などで、金属の切削部品などを積んであるようなのでよく見かけるように思います。そして、フォークで移動して上に積み重ねたり。キャスターは別途注文して取付てもらう形。

納期的に間に合わない事だったのですが、何故か専務が電話しているうちに、最優先で溶接作業してもらえることになって間に合った次第。

ところで、なんて言って頼んだのかな??

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