さいたま市の川合運輸株式会社です

8月 2023Monthly Archives

なんとか計画どおり

今日は税理士の先生の監査日。

繁忙期のなかの決算事務は、おもうようにはかどらないので、間際の駆け込み作業に。

逆風続き、難問だらけの業界ですが、とにかく車を動かし続けてなんとか。

やはり計画は大事で、今期は当初の目標はクリア、の見込み。

ほんとに地べた這いずり回っています。

川合運輸の楽器輸送

夏の終わりに追われる

この週末も、連日、早朝から車は動き出しています。

ホントに朝から日中の暑さが始まる猛暑続き。待機ひとつにしても、なかなか条件の厳しい中、連日お疲れ様です。

ずいぶんと長い夏になりましたね。

今日は、あいかわらず締め切り期日に追われて、事務系作業に追われてます。

長い夏・・・それでも8月もあと10日あまり。

昔の夏休みの宿題の追われているような感覚。

川合運輸の楽器輸送

締め切り間近

炎天下の作業から一転、こもり続けての作業。

先月が決算月なので、事務作業が大幅に遅延。時期が重なるので仕方ないです。

終わらない作業が続くより、作業が終わった時のほうが爽快感ある。

川合運輸の楽器輸送

後半スタート

お盆に台風で、予想外に新幹線が大変に。色々な要因はあるのでしょうが、あの速度でラッシュ時の通勤電車並みの本数を回しているのだから、ひとたび支障があれば、混乱も拡がろうかと。

さて、こちらの輸送も、夏のピークを無事に過ぎましたが、引き続き週末を中心にフル稼働続き。

それなりに距離を走る運行も増えてくるので、準備怠りなくしませんと。合間を縫ってメンテナンス。

今年も後半から年末まで走り続けます。

川合運輸の楽器輸送

みんなテカテカ

今日は、休み明けということもあり、車も目一杯のフル稼働。

で、暑さも再開。

私も今日は、午前中は屋外に。さすがに顔が赤くなってます。

まだ明るいうちから、よる遅めに真っ暗ななかでも、帰着するみんなの顔も、テカテカに光っていました。

普段通りの稼働に戻って、この暑さが普段通りだったら、大変だ。

川合運輸の楽器輸送

最近の流行り

今日は夜になって、めずらしく、というかだいぶ久しぶりに映画を観に。

「君たちはどう生きるか」。

公開されて、もう一ヶ月ですか。この期間は行けませんでしたね。

事前情報無しと決めていたのに、今日になって、ちょっと雑音が入りましたが、あまり関係なし。

中心のテーマは、ここ数年来、そして直近でも関心事でもあるので、素直に面白い。

これからもっと意識せざるを得ない事柄なんだなと。

映画は面白かったが、観終わったあとの、お隣との感想話では・・・見た画像の頭の中での処理が、私とは違う探偵チックなに解説に・・・内心面白くない。

川合運輸の楽器輸送

普段どおり

今日は倉庫で一部の機器のメンテナンス。

荒天なら、また別日かなとも考えましたが、ちょうど雨も風も収まった時間帯。

慣れない作業ともあって、終盤はほとんど気合で持った感じ。気を緩めると怪我が怖いですね。

午前中は歯医者さんへ。

お盆は休まないのですかと、先生に聞いたら、迎え火にお墓参り、そして送り火も、休まないでも出来るので、と。

普段と違って患者さんは少ないけれど、やはり急に歯が折れたと電話があったりするのだそう。

何を隠そう、私も先週末は、不用意に歯を割ってしまって、すぐ治してもらったばかり。

川合運輸の楽器輸送

無事完了です

夏期休暇中の稼働日のなかで、今日が一番ヤマ場かと。

かなり早朝から車が動きますが、数日前より台風の情報。

コンクールともなると、気象に道路状況で影響が出るのは・・・

今日はなんとか、当初よりもコースがずれたこともあって、影響なく推移。

午後にはお客様からも、無事コンクールの演奏を終えましたとのご連絡もあり。

皆様、大変お疲れ様です。

ありがとうございました。

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封印される情緒

車で移動ばかりの所、先日ひさしぶりに新幹線に。

基本的には、車内販売の珈琲は必ず。

で、ふと、これがロボットだったら、どんな感じなんだろう、注文する気になるのだろうかと。

帰路は、混み合ってるとかで、結局回ってこなかった。

帰ってから翌日辺りに、JR東海からは、グリーン車以外は廃止!と、ピシャっと。

ついに・・・これって、歴史的には大転換の時代。

荷物の多い人には、熱いコーヒーを車内で、が、やりずらいことになりそう。

仕方がない。荷物が増えても、握り飯に、お茶の入った瓶でもぶらさげていこうか。

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動かない時間

ラジオで一報を聞いて、それから一晩中ラジオをつけたまま、ニュースも一定間隔で情報を流し、その合間にかかっていた音楽も耳に残っている。

さすがに、この事は、38年と言われても、時間を全く感じさせない。

そこは世代が変われば、全く違うのは当然。

今日は、たまたま、当時、その夜に群馬を抜けて上越に向かっていた人の話を。

まだ場所が特定されていない状況で、道路は、いざという時のためとして、延々一車線は走れないようになっていたとか。

長いこと書籍で、最近はネットでの情報と、ずいぶんと内容は変遷していますが、いずれ当事者の方が何かを書き残すという形にでもなるのでしょうか。

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