さいたま市の川合運輸株式会社です

自転車

家族の自転車が久しぶりに帰って来ました。
どこへ行っていたのか、本人は何も言わないのであえて聞かないことにして・・。

突然いなくなってしまった自転車置き場から、何ヶ月ぶりに同じ自転車置き場へちゃんと自分で・・なわけないんですが。

家族は鍵をかけ忘れた事で、繰り返しこっぴどく注意されています。なので使用している人だけ責められないのですが、忘れた頃に戻ってきたのは何故でしょう。考えられるは今のところ2つくらい。

自転車が必要なくなったので、元の場所に返した。

両輪ともパンクしたので、乗れなくなったから元の場所に返した。

でも何故元の場所へ?
もしかしたら、もうひとつ、修理してくれということかな。(こら!)

無断使用は良くないことなのでやめましょうね。

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マルガリータ

唐突ですが、私は中学生時代は、規則で坊主頭でした。
床屋さんで最初は5分刈り、その後は3分刈りです。まわりが全員一緒で(もちろん男子だけ)、行動範囲も当時は狭いもんですから特に気になりません。
でも都心の雑踏に行った時に少々恥ずかしいと思ったこともあったかもしれません。

三年生の時ですが、吹奏楽部の顧問が突然、「さて今度の関東大会は気合をいれて男は5厘にするか」と言ったのです。

でも当時は本当に気合入ってましたので、生徒側も「おう!」という感じ。次々に「おっ、やってきたな」という感じでホントの坊主頭になりました。

私も床屋さんで「5厘にお願いします」というと、床屋さんの人は少々驚いた感じで、いつもと様子が違います。

そのうちに心配そうに小声で、「何かあったの?」と耳元で聞いて来ました。当時は(今もですが)、相手が理解したかどうかはあまり感心がなかったので、「関東大会に出るので5厘にすることになった」とだけ答えましたが、考えてみると相手は理解不能だったかも。

はじめての5厘刈り。さすがにバリカンのやり方が違います。角を押し当てるようにゴリゴリとこするように刈っていきました。

そして家に帰り、玄関から家族のいる食卓へ、扉を開けた所で先に進みません。あれ?なんだこれは?扉の上から垂らしてあるのれんと頭がすごい摩擦で通過できないのです。さすが5厘。

あれ?
今日の題名と全然話題が・・・。すみません。

マルガリータは、悲運の女性(恋人)から生まれたと言われているテキーラベースのカクテルでしたね。
おわり。

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恵方

もともと恵方巻きを食べる習慣などは少なくとも関東ではなかったはずですが、最近はスーパーなどでも大いに宣伝してます。

たまたま私は関西つながりで、その習慣をある頃から知ってましたが、関東ではコンビニのCMで「今年の恵方は~」とやっているのが最初のような。聞いたところによれば、やはりこれもバレンタインと同じように、販売促進によるものだそうです。

恵方巻きというのも商品名で、本来は呼び方も色々のようです。

そもそも太巻き寿司も、関西のほうが本場で、ずいぶんと具が贅沢な味に驚いた記憶があります。しかも「かぶりつく」食べ方がほんとらしいのですが。

そんなわけで今日も地元の駅併設の店舗も行列だったとか。

ところで恵方というと、以前にその年の恵方に向かって向きを変える唯一の神社が京都にあると聞き、近くを通った時にその二条城近くの神泉苑恵方社(通称えほうさん)というところに見に行ったことがあります。
年に一度とは言ってもいちいち向きを変えるのはさぞ大変だろうなと思いながら、見て少々驚いてしまいました。

驚いたというか笑っちゃったのですが、そんなこと言ったら怒られますね。
機会があったらどうぞ。

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落ちの沢

会津藩は、南部領の一部、陸奥に移封され、名前も斗南藩となります。藩存続に感涙し、将来に希望と託したものの、当時はまだ半年間雪に覆われた痩地、火山灰地であり、とても一同を養う土地ではないことを誰一人知りませんでした。

「終日いろりに火を絶やすことなきも、小屋を暖むること能わず、背を暖むれば腹冷えて痛み、腹暖むれば背凍りつくがごとし。・・」「挙藩流罪という史上かつてなき極刑にあらざるか。」※

本を読み終えて後、あまりの強烈な印象に、当時の柴五郎少年が餓死と戦った、落ちの沢という地。一体どんなところだったのか。何か機会があれば、それこそ厳寒の季節にと思っていたのです。

大湊線の終点まで行き、折り返しの時間を利用して、駅でタクシーの運転手さんに事情を話したところ、すぐ通じました。

特に何もないがこの路地を真っすぐ進み、鳥居を右に曲がったあたりがそうで、札がでていると、雑木林の入口で教えられ、ずぼずぼ雪に埋まりながらその場所へ行きました。


その時間は少々陽もさして、雑木林に雪もキラキラ光り、今となっては当時を偲ぶのは無理なほど綺麗な光景でした。

帰り道、運転手さんが教えてくれたのですが、現在までもずっと定期的に旧藩士の供養のためのお供えを続けている老人がいらっしゃたとの話しです。ところが、つい先日お亡くなりになったところだとの事でした。これからはどうなるかなあとも話されていました。

列車の時間までまだ少しあるからと、海岸にある、上陸の地の碑なども案内していただけました。そして駅までと再度車に乗り込もうとした時にふと見上げた山の頂上。なんだか異質な建物が。

これが最近建てられたばかりの防衛のためのレーダー施設なのだそうです。
運転手さんも、山容が変わっちゃったね、とぽつり。

時代は移り変わりながらも、波は絶え間なくやってくるものなのだと、なおさら実感したのです。

※石光真人編著「ある明治人の記録(会津人柴五郎の遺書)」中公新書 より

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戊辰戦争

「ある明治人の記録(会津人柴五郎の遺書)」

おどろくべき内容。本当に衝撃を受けました。

日本の近年でありながら、歴史とは勝者の歴史?と考えされられます。
このあたりの歴史は数々のドラマがつくられ、現在なおテレビでもとりあげられていますが、まだまだ知られていない事実があるということですね。

単に「戊辰戦争」の四文字で通りすぎてしまうわけにはいかないのです。

少年期の柴五郎の目で見た当時の状況、心情が正直に綴られた第一部「柴五郎の遺書」は100頁少しの内容。これは実際に読んで頂くしか伝えようがありません。

他にも「石光真清の手記」(四部作 中公文庫)が挙げられていましたが、これも明治期。櫻井よしこ氏によれば、日本人の誇りと勇気を取り戻せるに違いない本を、と考えて選んでみたら、すべて明治の人の記録だったとの事。

石光真清は明治、大正期を、シベリアと満州での諜報活動に身を投じた人です。こちらも大陸での壮大な物語のような詳細な手記。

それまで「坂の上の雲」などを読んだりしても、どうも日露戦争時の日本と、その後の昭和期とで、断絶感とでも言うようなものを感じていたのです。ところが、今回の本を自分なりにその間の一部が埋められたように思います。

明治維新当時の日本に生まれた人の特殊な環境が、本来植民地化されてしかるべきの運命を奇跡的に変え、そして国としての組織が本格的に出来上がった頃に歪がすでに生じていたのではないでしょうか。

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柴五郎

ちょうど4年ほど前になります。経済的に激動の年となった2008年の暮れに経済雑誌のコラムで櫻井よしこ氏が、いまこそ政治家、お役人それに多くの読者にお手本として薦めたいと紹介していた本の一冊を正月に読み、相当な衝撃を受けました。

石光真人編著「ある明治人の記録(会津人柴五郎の遺書)」中公新書。

柴五郎は会津の上級武士の五男として生まれました。

会津藩主は大政奉還の後、祖宗以来の労苦を慰労され、皇国の維持をとの詔勅を賜りながら、その前日に会津討伐の密勅と錦旗が薩長にくだされます。

藩主が戦火を避けるために謹慎し、強硬論を抑えるものの会津討伐が迫るなか、城下の様子は一変します。

家の中も皆が寡黙になり、大人は小声で何事かを相談することが多くなりました。そんなある日に、10歳の少年だった五郎だけが、散策を名目に城下から郊外の山荘に連れて行かれ、その翌日に城下では討伐軍の侵入による騒乱がはじまりました。

騒ぎを聞き、山荘から燃えさかる城下に向かったものの、あまりの火の勢いにこれ以上近づけないことを悟った少年が、「口惜しさのあまり母上、母上と叫びながら、地をたたき、草をむしりて号泣す」。

翌日、山荘を訪れた親類の老人から、敵の城下侵入に際し、退去を拒否した祖母、母、姉妹が自刃し、頼まれて介錯し、家に火を放ったと事の次第を教えられます。
「幼き妹までがいさぎよく自刃して果てたるぞ」と聞き、眩暈してそのまま数時間気を失います。

それから2ヶ月の間、毎晩、一家団欒の夢を見、目が覚めるごとに愕然とする日々を送りました。

その後、城内に篭っていた父・兄とともに江戸へ俘虜として収容された後、移封された地が、冬には厳寒の作物もろくに育たない陸奥で悲惨なる飢餓を味わされたのです。

柴五郎はその後、下僕として働きながらも軍に入り、北清事変(義和団の乱)で活躍し、藩閥外ながら陸軍大将、軍事参議官にまでなりました。そして敗戦の年の12月、少年の時に自ら拾い集めた母・祖母・姉妹の遺骨とともに永眠されました。

この本は、柴五郎が晩年、葬り去られた歴史を、自らの菩提寺に納め、肉親を弔いながら自身も眠りにつく目的で筆記した書を、たまたま編者に文字の添削を依頼したことから世に出たのです。

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冬の下北半島

こんなに寒いのに、余計に・・。
これは現在ではなく、一昨年の1月初め。
休み明けに宮城県に所用があるため、週末から青森方面に行った時の画像です。前日から大雪でした。

下北半島の終着駅、大湊。到着してからしばらくは雲が晴れて穏やかな天気になったのです。

帰路、大湊線の車内から観た津軽海峡です。
割合天気がよさそうに見えますが、実は相当な強風なのです。これだけ海岸近くですから、列車は最徐行で通過してます。この列車以降は運休になりました。

途中駅での対向列車も遅れて、いよいよ先が見えなくなりました。
どうも案内が、後手後手で上り下りのどちらに向かうべきか、判断がつかず、二人の若い女性の駅員さんに、現状の見込みでいいですから、どちら方面に行くかの参考にしたいからと、情報を頼みました。二人でしばらく相談しながら、こちらに答えようとしたところで、後ろから突然年配の駅員さんが、大声で「全くわかりません!」。

どうも国鉄時代のままの人もまだいらっしゃるようです。

というわけで、乗り換えそこねてしまった野辺地駅では長時間足止め。ところが、現地の人は待合室のあまり効かないストーブを前にして、寒い中でも黙って皆さん静かに待っているのです。やはり東北の人はおとなしくて我慢強いのですね。

ところで、わざわざこんな季節に行ったのには訳があります。

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名刺

名刺もさまざま。まさか「はじめまして。早速あなたのスマホに名刺を送ります。」などとはまだなってませんね。

商売にあわせてとても凝った名刺を作っている人もいます。
ある会社では、扱っている包装資材の素材を使用して薄いプラスチックの名刺を用意していました。

ところで自分の名刺の裏面に業務内容を入れてあります。が、どうもイマイチな。社内でもダメ出しされています。

最近に感心したのがある士業の人の名刺。

目立つとか変わっているとか、面白いなどという事ではなく、その名刺のウラ面の構成が、見ただけで、しっかりと、何を欲している人が依頼するべきか、スッと頭に入ってくるイメージなのです。ホームページなどもそういうデザインが必要なのでと思いますが、そのような名刺を持っている人であれば、よいアドバイスがもらえそうな気になりますね。

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千秋楽

昨日は千秋楽。
横綱・日馬富士は見事、全勝優勝を果たしましたね。おめでとうございます!

物静かな感じの日馬富士ですが、横綱になってますます端正で凛々しくなりました。

土曜日の取り組みをテレビで見てましたが、取り組み前の緊張感はすごかったですね。
伊勢ヶ濱部屋の千秋楽打上式。
残念ながら私は行けなかったので、参加者から画像を借りてアップします。

さすがに横綱は祝賀にテレビ収録とひっぱりだこで大変お忙しそうだったとのことです。

後援会の皆さんの熱心な応援。話をお聞きしてとても感動しました。

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春の祭典100年

今日は東京フィルの定期演奏会。

冒頭は 小山清茂作曲・管弦楽のための木挽歌
山で生まれた民謡が、祭りで、そして町でも唄い継がれ、人々の精神に力強く生きていくというテーマの曲。とても聞きやすい良い曲です。

2曲目は、指揮の渡邊一正氏の今日は弾き振りのラヴェル・ピアノ協奏曲です。
コミカルなフレーズを持つ曲。2楽章の静かで美しい旋律の中で、とりわけ中間のフルートが奏でるところは郷愁を強く感じます。
ところで弾き振りというのは、通常の別に指揮者がいる場合と比べて、弾き振りする側と、オーケストラの人にとってはどんな感じなんでしょうか。興味があります。

メインはストラヴィンスキー・春の祭典。初演から今年でちょうど100年になるのです。
当時のスキャンダルという表現がいまいちピンとこない部分もありますが、今でも息が詰まるような変拍子の連続は確かに特異な曲ですね。
最初に聴いた時は、一体どこまで続くのかといった印象でしたが、最近は短く感じます。演奏時間は三十数分なのです。
ステージいっぱいの大編成。今日はひときわ迫力を感じる演奏です。
タムタムが効果的に使われていて、実際生の演奏を聴くと、忙しそうで自然と注目してしまいますね。
いずれにしてもこの曲。バレエとして見なくても、一度テーマを聞けば、必ずや「乙女のいけにえ」のことが脳裏によぎらざるを得ない・・。うーん、やはり問題作だ!

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