さいたま市の川合運輸株式会社です

免許制度とトラック

以前であれば、はじめて免許をとったらすぐにでも運転できた(制度上)トラックがこの大きさ。

もちろん大型車よりはすべてのサイズが小さいですが、運転台にのれば2トン車とくらべて格段に大きいことが実感出来ます。

逆に言うと、普通免許で運転可能であることから、サイズ的に重宝になり、昔からだんだんサイズが大きくなってきたのです。

この下のサイズが2トンロング車と呼ばれるタイプ。引越用途でレンタカーを借りる際によく使われるタイプです。住宅地を走る、宅配便の車両もサイズ的にはだいたい同じです。

この位であれば、普段乗用車を運転している人ならば、運転台が前に出ていることからくる曲がり角でのハンドル操作や、死角が多いことに注意したり、後ろの荷台部分の屋根高さの問題に十分注意すれば、まだ大丈夫でしょう。

ところが、このタイプが、現在の免許制度では、中型免許が必要になるのです。

というわけで、小さめの2トン車というのがこのタイプ。弊社でもこのタイプは用途を限って使用しています。運送会社としての2トントラックとしてはやや特殊です。

例えば、18歳の人が普通免許を取得して、同時に運送会社に就職した場合、2年間は、受験資格である、「20歳以上」・「(普通免許)取得後2年経過」のために、このクラスの車両しか運転できないことになったのです。そしてそれからの取得になるわけですから、結構ハードルが高くなってしまいました。

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免許制度

昨日に、免許制度改正後に取得した人の話題が出ました。

平成19年6月2日以降に免許を取得した人は、それまでよりも普通免許で運転できる車両が制限されるようになったわけです。

具体的には、特にトラックを運転しようと思わない人はおそらく、区分の違いはご存じないでしょう。

それでは、最近免許を取得した人が、普通免許でどんな車両までが運転可能かという事だけ、まとめます。

最大積載量が以前は「5トン未満」まで運転できたものが、制限されて「3トン未満」になりました。

これだけだと、なるほど、以前ならば4トン車まで運転できたのが、3トン車までしか運転できないんだと思えますが、実は違うのです。

「最大積載量」の制限のほか、もうひとつ「車両総重量」というものがあります。これは簡単にいえば、最大積載量の荷物を積んだ時の、荷物と車本体の重さを足した重量。

この車両総重量が以前は「8トン未満」だったのが、今回の改正で「5トン未満」になってしまいました。

これにより、実質的には3トン車どころか、2トン車の多くも運転できない事になってしまったわけです。

弊社の2トンロング車も、車両総重量は5トンをわずかに超えているので駄目。よく引越で使うレンタカーも「ロング」となっているものはほぼ駄目でしょう。

つまり小さめの2トン車位しか運転できなくなってしまったのです。

ご自身で運転しようと考えていた人は不便でしょうね。

それでは、運送会社にとってはいいのでは、と思われるかもしれませんが、若い人の人材不足になやむ運送業界にとっても、大変痛い法改正で、この件は大問題になっているのです。

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コンサート機材の積込

楽器など、演奏会の機材の運搬を、そのときの運搬する量によって、メンバーの皆さん自身で運ぶ場合と、私どものような業者にご依頼頂く場合とで使い分けていらっしゃるお客様は結構いらっしゃいます。

コンクールの時でも、レンタカーのトラックをよく見かけますね。2トン車ばかりでなく時には4トン車の姿も。OB団体の方かなと思います。

先日のお客様は、ご自身で運転していたのだけれども、量が増えて4トン車になると、丁度、中型免許を取得しないと運転できない年代との事で、始めてご依頼いただいたケースがありました。

さて、本日のお客様はビッグジャズコンサートを開催のためにご依頼いただいた大学のお客様。楽器以外の機材が多いためにトラックが必要になったそうです。

管楽器や打楽器はもちろんですが、コントラバスあり、そして音響用の重量のあるアンプあり、舞台用の台ありと、さまざまな機材が効率よく限られたスペースに収まりました。
特に普段ご自身で運ばれているお客様は、いたって荷台での積込がとても手際がよくお見事です。

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職業?

子供のなりたい職業で、政治家が141位だと話題。それをどう思いますかとの国会のやり取りがありました。

なんでも140位は刺青師なんだと。

でも政治家を「職業」として見るものなのかどうか、という感じもします。本来そういう観点からの仕事でもないような。

おそらく平和な世の中で成り立ってきた部分があるのではないでしょうか。

以前に会社でも年配の先輩が、「最近は政治家ではなくみんな政治屋になっているからなあ」といっていたことを思い出しました。

なるほど。既に今の子供たちは、本来の目線で見ているでしょう。だから、その中で「民のため」という人たちがたくさん出てくると期待しています。

あれよあれよという間に、これだけの国難に囲まれてしまった現状。その中でも生命をかけてる人たちもいると思われますので、これからのことは大丈夫だと。

田中正造の話しが出たので、そんな事を思いました。

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足尾銅山

足尾銅山といえば銅山の鉱毒事件の事を抜きには語れませんね。

もともとは江戸期から採掘されていた鉱山でしたが、明治期に近代化と新しい鉱脈の発見によって飛躍的に産出量が上がり、それにともないガスによる汚染で付近ははげ山となり、排水に含まれた鉱毒が下流に流れ、農業に甚大な被害をもたらしたのです。

私が訪れた頃は、閉山していたものの、まだ精錬所が操業していた時代。貨車がまだ動いていました。そして確かに周囲は黄土色の世界。

森林を復元するための植林事業は何と100年以上も続けられているのです。それでも荒涼とした場所はまだまだあり、2011年の震災の影響と思われる土砂崩れから、河川の汚染がいまだに観測されるというような状況なのです。

一度失った自然をとりもどすのがいかに大変か、思い知らされますね。

ところで、この鉱毒事件による渡良瀬川流域の住民を助けるために立ち上がったのが田中正造。現在の佐野市出身の政治家です。

実は、この足尾線に乗っかってのんきに車窓を眺めていた時分はもちろんのこと、割合最近まで実は田中正造の事は知らなかったのです。

私の子供が小学校の授業で国語の教科書の音読が宿題のような日課になって、家で繰り返し毎日聞かされた文章が、この足尾鉱毒事件と田中正造の活躍の話。

何故か子供は、この文章がいたく気に入ったようで、普段とは違ってやけにいきいきと音読していたので不思議に思っていました。話が佳境に入り、明治天皇への直訴未遂のあたりまでくると殆ど講談でも聞いているような感じでした。

田中正造
原典 ”幕末・明治・大正 回顧八十年史” 東洋文化協會

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わたらせ街道

先日、群馬県の桐生近くに行く機会がありました。
県境を超えて近づく山々。埼玉の西部の山とは違って、小さい山でも切り立った山の形がこの地方ならでは。

仕事ですからもちろんとんぼ返りなのですが、後ろ髪惹かれる思いだったのです。

ここから国道122号線を真っすぐ行けば日光に抜けますが、それよりも手前の足尾、そしてそこに至る過程が大事。

以前の国鉄時代の足尾線。今はわたらせ渓谷鉄道になっています。銅山からの輸送を目的に敷設された路線。

実は現在は貨物輸送は全くなくなっているいるものの、もともとは鉱山輸送が目的だった路線は全国にたくさんあります。そのため、結構荒々しい風景の中を走ったりするのが余計にローカル線に乗る魅力でもあるのですが。その分自然の中を走るだけあって近年は土砂崩れの被害が出たりすることが問題になっています。

この足尾線。私は高校生の時に初めて乗ったきり。確か6月頃。緑がまぶしい中を、渡良瀬川沿いをゆっくり進む車両からの眺めは今でも鮮烈に覚えています。

終点は間藤という駅。当時、私はひとつ手前の足尾駅で降りたので1、3キロは未乗車区間。後ろ髪というのは、そういうことです。

ところで、今回行った先は「みどり市」。今日は私は会社で間違えて「さくら市」などと表示して間違いを指摘されて訂正した次第。

さくら市は栃木県でした。

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時代の流れ

私がまだ学生時代、手伝いで行った先で、不慣れな人に対する態度が強烈で驚いた記憶があります。でもその後、いろいろな乗務員さんから、そのくらいは当たり前で、しょっちゅうだということを知りました。

ところが、そんななかでも、多くの社員さんから共通して、とても気分よく納品作業ができる会社があることを知りました。納品時に運転手に対する対応がとても丁寧だというのです。

もちろん誰でも知っている名前の会社。ある業種のトップメーカーです。創業者の精神がすみずみまで行き渡っているということもあるのかも知れません。

その話を聞いてしばらくして、そのメーカーの社員である知人と会ったときに、その話題になりました。知人は結構自信満々に、「うちは業者さんを大事にしているもん」と言いました。なるほど、さすがだと思ったものです。

さて、そんな会話があった日から二十数年たち、そのメーカーというより、その業種自体が大変な困難な時期に直面しています。

先日、乗務員さんから、初めて行ったところで勝手がわからず、随分怒られましたという話を聞きました。そこはまさにそのメーカーの名前を冠しています。もちろん実際に現場で働いている人は、業務請負している業者さんの社員だったりするのでしょう。

やはり時代は変わっていますね。

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第5番を2曲 続

コンクールのテープを聞いて、耳に残ったのがアナウンスの「交響曲第5番」という声。それで、そのレコードが家にあるのかと親に聞けば、当然「これじゃないの?」と出てくるのはベートーヴェン。

溝から判断して第4楽章のところに針を落とすと、聞こえてきたのは、とても明るい調子の曲。「違う、これじゃない」というと、「5番と言っても誰の?」という具合の会話。
高らかな勝利の楽章のベートーヴェンと、謎を含んだ少々いびつな行進曲風のショスタコーヴィチの4楽章の違いをこうして味わいました。

それで友人から借りて初めて聴いたレコードがバーンスタイン・ニューヨークフィル。曲は同じはもちろんですが、ここで4楽章のテンポがまるで違うのに驚いてしまいました。
その後、名盤はムラヴィンスキーなんだ、でも今は廃盤で売っていない、とかでビクターへ何度も問合せたりしているうちに再発売が決まったり。

ところで謎の部分は、まだ時代が近すぎて証言できない人もいるのかもしれません。いつかアシュケナージ氏の指揮の放送でも、ゲストが「当時はいろいろあったんです。」と言葉を飲み込んでいました。

またいずれ新たな話がでてくるのでしょうね。

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第5番を2曲 後半

私が初めてこの曲を聴いた年に、他界したショスタコーヴィチ。その後、曲の解釈は大きく変わり、また新たに謎を残したままになりました。

当初は共産党機関紙に批判された後、交響曲第5番を書き上げ、喝采を浴びる、苦悩から勝利への図式。ところが、実際にはそうではなく、強制された歓喜を表した曲との理解がすすみ、実際、「騙されないぞ」とのメッセージなどを込めた曲であると・・。

第2楽章は「皮肉な微笑」との表現は、一番最後でうなずけます。そして第3楽章はレクイエムとも言われています。

問題は第4楽章。

今回、この曲を聴きながら、前半のベートーヴェンを思い、民衆の闘争・勝利の時代から、100年過ぎて後、国家との間で身の危険の恐怖のなか、交響曲を作る作曲家・・。この世は一体・・という複雑な心境になりました。

それでも第4楽章の終盤、指揮によって全くテンポが異なる部分。今回はどちらかというと、やや早めにもとれるテンポ。昨日は私には、最後は勝利であるという明るいメッセージとして受け取れたのですが、尾高氏の解釈はどうだったのでしょう。

とても魅力的な選曲・指揮・演奏で、このうえない時を過ごせました。

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第5番を2曲

新年度の東京フィルの定期演奏会。今日のオーチャードでの指揮は尾高忠明氏。

最初に新年度のプログラムを見た時に、「おっ」と思いました。

4月はベートーヴェンの祭典となっていますが、この日の演目はベートーヴェンの第五とショスタコーヴィチの第五。

片方ずつなら普通ですが、2曲が並んでいることに反応してしまいます。そもそも演奏会の冒頭がベートーヴェンの運命からとは気合が入りますね。

先月の演奏会のパンフレットに、今回のベートーヴェンの第3楽章のリピートの有無に関して「当日のお楽しみ」となっていました。楽章単体での形式的なバランスでは有り、曲全体でのバランスをとれば無し、のどちらか。

答えは「リピート無し」でした。

尾高氏はまた、あえてピリオド奏法はとらず、演奏会場の拡がりとオーケストラの発展という過程を大事にしたいとの立場だそうです。

70名を超える編成での演奏は、現在の楽器での最強の響きでホール全体を鳴らして、完全に聴衆を圧倒。すごい日になりました。

でもまだ前半だった。ではここで約1440分の休憩(の予定)。

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