さいたま市の川合運輸株式会社です

間違われます

私の職業を知らない人に、仕事は何だと思いますか?と聞いても、運送会社の経営とはまずわかりません。たいてい銀行の人?公務員の人かな?などと言われます。
先代も教職から移り、最後まで文筆に憧れていた人ですから、少々運輸業界とはイメージが違います。

例えば、何年か前に36協定の提出で労働基準監督署に行った時の事。書類を見てもらいながら、簡単にいくつか質問されながら、ご年配の担当者の方が顔をこちらにむけ「でもあなたは社労士さんでしょう?」「い、いえ、私が代表者です。」「えー、違うでしょ」「いや、私が代表なんです」「またまた・・」」・・繰り返し何度も否定して、ようやく信じてもらいました。

いいのか、わるいのか。役所でも突然、隣の人から役所の人という前提の質問をされたり。
実は今日もあるところで、書類を提出して話をしながら、途中まですすんだところで、「おたくは社労士さんですよね?」

制限速度58キロ?

制限速度58キロ?
ではなく、武蔵浦和駅近くの58カフェでした。

なんで58なの? だれでもお店の名前で疑問がわきますよね。
オーナーが最初に背負った背番号らしいです。お店の中から柱越しに大きな字で書いてありました。

メニューはパンケーキに自然食的なランチと独自派です。

ひろびろしているので、書類を見ながらの打ち合わせにもいいです。

ネットワークとトラック

昔から協同組合という形がありますが、もちろん輸送業界にもさまざまな組合があります。
先代の時代に地域での協同組合の立ち上げがあったのですが、なかなか理想通りにはいかず、私が入社した頃にはすでにその組合からは離れていたようです。
代わりに現在では貨物斡旋を目的にした組合に加盟しており、燃料の共同購入などでも利用しています。

この協同組合というのはアメリカにはないそうです。代わりに中小の輸送会社は独自にネットワークを組んで補完しあっているようです。

インターネットの普及に伴い、輸送業界でもだいたい十年位前より様々なネットワークが立ち上がってますが、当初は仲々思うようには広がらなかったように思います。業界特有の様々な問題を抱え、幅広い賛同が得られずに当初の目的を達成できなかったケースもありました。

今はネットワークを組む選択肢は広がりましたが、これからは益々、輸送のレベル、会社の姿勢も問われる時代になります。積極的にレベルアップのための新しい取り組みをとりいれていきたいと思います。

旧国鉄の貨物ヤード

興味のあるジャンルで自動的に録画されたビデオ。昔の貨物操車場の映像を話題にした内容でした。

ここ何年かで新三郷駅周辺にオープンした大規模なショッピングセンター。この広大な敷地が元鉄道貨車の基地だったということを知っている人は多いでしょう。
もちろん私も知ってはいましたが、国鉄の終焉と、無駄になってしまった貨物ヤードの象徴として覚えていただけでした。

番組では、この基地の役割、仕組み、施設を完成されるまでの各種の試験の様子を映像で解説していました。当時としてはコンピュータを使用した最先端の実験的施設でした。
各地方から到着した貨車を切り離しながら、自動で動かし、各行先別にポイントで貨車を振り分け、さらに方面ごとに到着駅の順番に自動で貨車を並べ替えて、また列車として出発していく・・・。
すごい設備なのですが、今から思うと、ここまでするなら、トラックのほうが各自、方面別に直接向かえばいいわけですから早いのです。
そのスピードの差で、この施設が稼働する頃にはほぼトラックが完全に優勢になったのはご承知の通り。

でも現在の宅配貨物や大規模ネットショップの流通施設で使用される自動仕訳の原型のような設備を作り出していた、当時の技術陣はやはりすごいと思います。

 

アルファとオメガ

本日は東京フィルの定期演奏会。
指揮ダン・エッティンガー 歌劇「アルファとオメガ」、コンサートスタイルのオペラで、ヘブライ語の原語上演で字幕付。そして日本初演です。
作曲者はイスラエルの音楽家、39歳のギル・ショハット。

テルアビブの美術館で見たノルウェーの画家ムンクの同名の連作版画作品にインスピレーションを受けて作曲、ストーリーも作品の短い添え書きをヒントに書き下ろしたものだそうです。
現代版のアダムとイヴといえるものですが、ある意味おどろおどろしい悲劇です。どうとらえたらよいのか、とまどうような作品です。
地球上最初の人類であるアルファとオメガ。最初は愛の物語ですが、そのうちに蛇、熊や虎、ロバ、豚が・・ アルファとオメガは死に、島に残るのは半人半獣の子供たち・・!

1幕構成なので途中休憩なしでしたが、音楽が親しみやく、場面の変化に引きこまれて楽しめました。さすがエッティンガーさん。イスラエルのお仲間との上演、熱が入っていました。

火事に対する備え

いつなんどきでも火事に対する備えはしなくてはいけませんが。
消化器はピンを抜いてレバーを引けばよい、というのはわかっていましたが、
では消化器はどのくらいの時間、放射するのか?
時間は意外と短くてせいぜい15秒程度のようです。

大事なのがレバーを引く前に、ホースの先端を火元に向かってしっかり持つことだそうです。ホースをもたずにレバーを引いてしまうと結構勢いがあるので、ホースがあばれてしまうのです。

あと大事なのが、消すのか? 逃げるのか?

屋内での火事の場合、火が天井に燃え移ったら、それ以上自分たちで消火をするというのは無理と判断して、避難を優先することだそうです。

住まいのマンションの消防訓練で教えてもらったことでした。
このときは説明だけでなく、消火剤の代わりに水の入った消化器が用意されていて、実際に使用する事ができました。
慌てる状況の時には、やはりいかに訓練されているかが問われますね。

ホームの安全3

島秀雄氏の存命中、雑誌への寄稿を、読んだことがあります。
「こうだからとか、何かと理由をつけているけれどもね。やる気になればできるのに」と当時の鉄道会社に苦言を呈していました。
そして、昔の話になりました。

昭和14年に秀雄氏の従兄弟が、混雑した神戸駅のホームで人に押されて転落し、汽車に轢かれ、病院に運ばれました。
まだ青年だった従兄弟は「汽車は危ないから気をつけてください」と言葉を残し、駆けつけた秀雄氏らに看取られて亡くなったという話を述懐されました。
氏が戦前からホームドアを主張していたのは、この経験がもとになったと言えるでしょう。

ホームでの転落事故にはいまだに視覚障害の方の犠牲者が多いということ、それに、その対策としてホームドア設置推進の運動をされている方たちがいらっしゃる事を最近知りました。
それから考えますと、白い点線だけだった昔のホームに、黄色い点字ブロックが設置された頃は意識していましたが、最近ではあまりに慣れてしまって、意識せずにいた自分が大変恥ずかしくなった次第です。

ホームの安全2

子供の頃に読んだ鉄道の本の中で、鉄道技師だった島安次郎を「車両の神様」として紹介していました。
弾丸列車を計画した事で有名ですが、当時、危険が多く、多くの作業員の犠牲者を出した旧式の連結器を周到な準備のうえ、大正14年に一晩でほぼ全国の車両の連結器を新型に交換した伝説的な逸話が印象に残っています。

その子息の島秀雄氏も同じく鉄道技師で、父の弾丸列車計画を新幹線として実現し、何年か前にはドラマにもなりました。更に秀雄氏の次男の島隆氏も同じく技師として、東北新幹線などに携わり、台湾高速鉄道の顧問もされました。
まさしく華麗なる一族ですが、島秀雄氏は1998年に他界されるまで、終生ホームドアの設置を主張しつづけていたと言われています。

ホームの安全

「安全」というと、鉄道にも眼が向くのは鉄道好きだからでもありますが。

普段、通勤で電車に乗らない立場でも、何かと事故による遅延・運転見合わせに遭遇します。色々な原因がありますが、ホームからの転落事故については特に気になります。

逆に通勤で日常になっていないからこそ、ホームの危険を強く感じます。
特に、階段やエスカレーター、それに何かの工事により、より狭くなっている場所。私などはよく感じるのが新宿駅の埼京線ホーム。こわごわ通り抜けます。電車から降りても、すぐに反対側を歩く気にはなれず、逆に降りた電車が走り出さないうちに同じ側から歩くことが多いです。

新しく出来た地下鉄などの路線は、ホームドアが設置されて理想的な環境になりました。その他、地下鉄などを中心にあとからの設置が少しずつすすめられています。新幹線以外のJRでは、ようやく山手線に少しずつ設置が始められました。しかし、山手線の全駅設置は2017年度となっていますので、まだかかりますし、その他の首都圏のJR在来線の設置計画は現在のところ、ここまでです。

若い人の志望動機

県庁の方との話の最中、社員の平均年齢の話から、若い人の運転乗務員への就労の話題になりました。
運輸業界のなかでは、若い人を採用できないことは大変深刻な問題になっています。
景気が悪くなり、特にここ数年はひどいものですが、逆にその中でも採用したくても人が集まらないという状況は、年齢を問わず変わりません。

理由は様々でしょうが、昔の「同じ年齢でも他の業種に比較して賃金水準が高い」という図式が変わってきている事も大きいと思われます。景気悪化による運賃水準の低下、労働時間短縮の傾向から、以前のようにはいかないという事情があります。

それに輪をかけるのが中型免許制度の導入で、業界としては一部見直しを求めています。ただ、これは安全を考えての制度で、諸外国の実情と比較しての事でもあるので致し方ない面はあります。

私として印象に強く残っているのは、二十年位前までは面接時に、応募の理由を多くの若い人が「運転が好きだから」「車が好きだから」としていました。
そうなると最近の若い人が免許をとらない、免許があっても運転しない、運転したくない、あまり車に興味ない、という傾向も、大いに関係していると思うのです。